日本明慧

年老いたハンディキャップ老婆の監獄内で受けた虐待の話


【明慧ネット】2002年9月26日深夜、夢の中で私は、ドアを乱暴に叩かれる音が聞こえて目が覚めた。夫はドアを開けた突端に6、7人が強盗のように家に乱入して来た。そして、家宅捜査し始めた。私が、抵抗したため、彼らは私をそのまま運び出し、拘留所へ拉致した。その後、拘留所に連れられてきた十数人の大法学習者も私と同様の手段により拉致されたのだと分かった。拘留期間中に、私は2度不法尋問され、その上、政保科の馬紹中と徐参軍に殴られた。11月11日、私たちは留置所へ移送された。登記室に入った突端に、一人の女警察がある女性の大法学習者をいきなりビンタして「ここは刑務所だぜ、人を監禁する倉庫だよ、法律を犯しているかいまいかは関係なく、ここに入った以上、ここのルールに従うのだぞ」と叫んだ。

しかし、私たちは良い人になろうとしているのだ、私たちは拉致されたのだと言ったが、彼等は我々の言うことを全然聞かないのだ。ある5人の大法学習者は手錠で一緒に掛けられ縛られた。悪党警察は更に全員を夜の12時まで立たせた。3日目に私は他の部屋へ移された。この部屋は元々特別監禁室であった。ある昼休みの時、悪党警察長の朱玉は嫌がらせに入って来て、いきなりに私たち5人の掛け布団を奪い取り室外へ投げ出した。5日後に省庁の検査が入るとのことでやっと掛け布団は返された。しかし、数日後に、私たちが夜中に煉功したと言う口実で又も掛け布団が取られた。その上、15キロもの重さの3つの枷で私たち4人を交差にして一緒に縛り掛けた(この中の二人は既に50歳を越えている老婆で、私自身も50歳を越えるハンディキャップを背負う老婆なのだ)。寝るときは私たち4人の足が重い足枷に押さえられ、掛け布団無しで只一枚の薄い敷布団を4人で使った。気温がわずか2〜3度の状態の中で10日以上もの間を過ごさせられた。そして、私たちの足も重い足枷で擦られ凍傷になり掛けたため、タオルで足首を巻いた。が、悪党警察朱玉に発見され、強制的にタオルを外された。そして、朱玉は私たちのタオルを投げ出しながら、「足首にタオルを巻いたら足枷の効用がなくなるぜ」と罵った。正に邪悪そのものなのだ!しかし、私たちは彼らに真実を説き続けていた。監禁50日経ったのち、私たちは行政拘留へ移送されるときにやっと、足枷が外された。

未だに邪悪集団のために悪事を働いている者に警告する。早く目を覚まそう、因果応報は天理であり、自分たちの将来の位置づけをしっかりすべきだ。