日本明慧


親子ともに半年の内にハルビン市万家医院内で惨死した


  黒竜江省からの情報によると、ハルビン市の法輪功学習者于冠云さんは、2003年1月12日にハルビン長林子労働矯正所及びハルビン市万家医院における迫害によって死亡した。長男の法輪功学習者于振義さんは、昨年の6月14日に同じ医院内で惨死した。現在、次男の于振雄さんは、当局の逮捕を逃れるために流浪の生活を強いられている。

昨日、ハルビン市法輪功問題管理室へ問い合わせ、于冠云さんと于振義さん親子の死亡状況について尋ねたところ、電話口から一人男性の大声が聞こえた。“この電話を記録し、法輪功610号室へ知らせ(声の主を)調査するように!”

現在まで得られた情報によると、61歳の于冠云さんは、ハルビン市太平区に住む法輪功の指導員でした。99年の末、天安門へ平和的な請願をしたことによって、15日間不法拘留されたことがある。2000年7月、社会に真相を伝えた際、警察に連行され、50日間監禁された。家は何回も捜査された。2002年7月に于冠云さんは、法輪功の真相資料を配る時に、ハルビン市駅の治安大隊により連行された後、3年間の強制労働矯正を科せられ、ハルビン長林子労働矯正所に監禁されていた。その後2003年1月12日、于冠云さんがハルビン市万家医院で、死亡したと伝えられた。現在死亡の詳しい原因を調査している。

于冠云さんの長男于振義さんは、半年前に同じ万家医院で迫害により死亡した。情報によると、28歳の于振義さんは、2001年9月に不法に4年間の懲役刑を科せられた。2002年4月25日にハルビン第3刑務所から、ハルビン市万家医院に搬送されて、入院後半日の間に四肢痙攣、意識不明となり、当日ハルビン医科大学の第2付属病院へ移送された。そこで検査した結果、頭部に強度の打撲傷、体の大部分に酷い打ち身があり、治療不能と診断された。于振義さんは2002年6月14日に死亡した。

また、于冠云さんが迫害により死亡した後、警察は于さんの次男于振雄さんを逮捕しようとした。現在やむなく、于振雄さんは、流浪の生活を強いられている。

インフォ・センターの資料によれば、迫害によって死亡した中国の法輪功学習者の人数はすでに560人に上っている。2003年1月20日に “法輪功迫害追跡調査国際組織”がアメリカに設立した。この組織の声明によると、組織の使命は“法輪功を迫害するすべての犯罪、及び関連している機関、個人と組織を追跡調査すること天地の果てに関わらず、時間に関わらず、必ず最後まで追跡調査すること天理を行使し、公平を再現し、人間の正義を正すことである”とされている。