日本明慧

大連当局は楊伝軍氏夫婦を不法裁判、大法学習者は法廷内外で法を正した

 大連の不法官員は、2003年1月9日に楊伝軍氏田軍氏夫婦に対し不法裁判を行うことを企んだ。しかし、大法学習者たちが強い正念を発し続けたため開廷は延期されつつ、9日から14日、そして21日になってついに大連甘井子裁判所で行われた。これまでの間に、大法学習者たちは法を正し衆生を済度することに基づき、邪悪が開廷日時を延期することに惑わされずに、迅速に情報を伝達し、理性を持ってしっかりと純潔で強い正念を発し続けていた。ある学習者は悪行を制止するために責任関係部門に直接電話をし、ある学習者は手紙によって真相を説いた。

 一部の学習者は裁判所の中及び外で同時に近距離で正念を発した。そして、自宅にいる学習者も開廷前から正念を発し続けた。邪悪の徒らは裁判中に終始「法輪功」の三文字を口から言い出すことができず、態度も穏やかだった。態度の悪かった告訴人も大法学習者の強い正念に抑えられ、「控訴書」を見ながら意味不明な内容を読んだのだ。文書にある「調査」という文字の読み方すら分からず、隣の人にこれあれと聞き、狼狽な様相を呈していた。

 不法監禁された楊伝軍氏及び田軍氏夫婦は法輪功は正しい法だと声明し、法輪大法を修煉することは無罪と主張し、邪悪の告訴を全面的に否定した。そして、その場で邪悪に迫害された真実を暴露した。2002年4月24日の夜、楊氏及び田氏が暴力的に拉致された後、法輪功を専門的に迫害する沙河口区政保科科長張平氏を先頭とする悪党警察らは、所謂証拠を取るために彼たちに対し、三日三晩電気ショック及び殴打などあらゆる酷刑を行った。楊氏はその傷跡が今でも全身に満ちていると話しながら皆さんに見せるために衣服を上げようとした。邪悪の徒らが怯え出し、表決も何もせずに11時15分に草々に終結し退散した。そして、親族や学習者は楊氏夫婦と簡単に交流し、全ての学習者が関心を寄せていることを伝え、正念を堅持するように励ました。

 大法学習者が裁判の全過程に於いて、正々堂々で穏やかな表情だった。逆に邪悪の徒らは心中やましくびくびくして、冷や冷やする表情だったのだ。しかも、裏口から入場して又裏口から逃げた。