日本明慧

中国人警察官が打ち明ける

 

私は以前中国のある町で、公安局員をしていた。ある日の午後、管轄区の一人の警察官と偶然出会い、彼は私にあるビルの監視に加わるようにと言った。地区の政保科から電話があり、法輪功学習者達が仕事をしているオフィスを囲むよう言われた。半時間程後、政保科の者がやって来て、もう既に学習者達を逮捕したと言った。私達はビル全体を隅々まで捜索し始めた。私自身法輪功の本と資料が入った大きな袋を二つ見つけた。(これ以前は私は法輪功について殆んど知らなかった。それが禁じられているという事を知るのみであった。) 私は転法輪という本を一冊取り上げて、ページをめくってみたが、特に注意しなかった。私達は見つけた本を全部一緒にし、写真を撮り、数を数え、それから本や資料やコンピューター、コピー機を押収した。

 この出来事の二ヶ月程後、私自身普通留置されることのないような些細な罪で留置所に入れられた。公安局員の私にそのような厳しい罰が与えられるのは、大変おかしなことであり、親族や友人を驚かせた。更にそれ以上に予期しなかったのは、留置所に居る間、私が捜索したオフィスの法輪功学習者に会ったことであった。彼は私に気づかなかったが、私は彼の写真を見たので彼を知っており、名前も知っていた。だから私は彼の一言一行を静かに観察したが、非常に好かった。私は彼のオフィスを捜索したことを、彼に決して言わなかった。

 後程彼は他の小室に移され、二番目の学習者が彼の場所に来た。時を経て私は法輪功を学ぶことは益があるだろうことに気づいた。二番目の学習者は法輪功について私に多く語り、それは私の理解に役立った。私は反省し、「真、善、忍」に基づいて好い人になり、自分に厳しく、執着心を取除きたいと願った。言うは易し、行なうは難しであるが、真の学習者達はそれを実行して来たのだ。だから偏見をもっていたり、無知な者は、気ままに法輪功についてコメントしてはいけない。真善忍の基準に従おうと努力すればするほど、私は自分の心が如何に汚れているかを発見し、学習者達の純粋さをより価値有るものと認めるのであった。私はまだ学習者ではないが、本当に「法輪功は好い!」という真実を語っているのである。私は二番目の学習者に、私が法輪功に対して行なった悪行について話した。彼は私が法輪功と縁があるに違いない、師父は、法輪大法の修煉をするべき人を忘れることはないだろうから、私は釈放された後転法輪を読むことが出来るだろうと言った。

 彼の言ったことが正しいと証明され、私が留置所から出た後すばらしい事が起きた。しかし私にはまだ大法弟子と呼ばれる資格がないと思う。その二番目の学習者は、法廷で自分を弁護することが許されないまま、四年の刑を言い渡された。法輪功を止める保証書を書けば、彼はすぐに自由になれることを私は知っている。しかし彼は修煉への堅い信念を固守し、そうしないだろう。

 この手紙はうまく書けていないかもしれないが、私が言っていることは全て本当である。後程再びインターネットに入れるなら、私の体験と考えを続けて書くだろう。法輪大法を好く思わない人達、どうか悪い思いを断念するように。私は心底からあなた達がはっきり目覚めるよう願う。

 2003216