日本明慧


龍山教養所での食事問題から思い出したこと

文/大陸大法弟子 李静

【明慧ネット】2001年4月末、私は遼寧瀋陽龍山教養所へ強引に連行され、一年教養の不法な判決を受けた。ここで、私は自ら教養所の大法弟子に対する残酷な迫害を体験した。只食事の方面からもこの迫害の一端が見える。

そこの食堂の衛生条件は非常に悪かった。賄いはすべて普通の男性犯人であり、個人衛生が酷く、彼らの手のあかも結構深く、その台所の流しには水があったり、無かったり、あるとしてもその水は色が変わって、汚なくて嘔吐をもよおすくらいだった。ある日、朝の食事をする際、餅子(小麦粉をこねて薄く円盤状に伸ばし,平鍋で焼くか蒸すかした食べ物の総称)を一つ取って、食べたら、苦くて、ねばねばした。多分小麦粉にかびが生えて、又餅子は未だ出来あがってなかった。私は警察に状況を反映し、最も基本的な生活条件を取得しようとした。大法弟子は犯人ではない、私達に対するどんな迫害でも堅く制止しよとした。

夏になると、下痢をする人が絶えず出た。監禁されている学員の中には、李と言う医者がいて、彼女は食事に問題があることを知っていた。彼女は深夜2時すぎまで、警察に道理を説明し、極力問題を解決しようとした。そして、警察はやっと法輪功学員が賄いをするよう返事した、それから、私達は清潔な食事が出来る様になった。

この出来事を体験して私はこう悟った。邪悪の私達に対する迫害を認めてはいけない、私達は法の中で自分の修煉の路を歩くべきだ。又現在毎日学員が捕まえられ、邪悪は未だも私達を迫害している、私達は自分自身に聞くべきだ。貴方は未だ何の漏れがあり、邪悪がすきに乗ずるようにしているか?神の正しい信念と正しい行いで旧勢力の按排を全般的に否定しているか?
ここで一つの例をあげる。ここ瀋陽にはこんな同修がいる、彼女は馬三家労働教養所に監禁された15ヶ月の間、強靱な意志で邪悪に屈服しなかった。色んな魔難と迫害を受けたが、学員と資料を造る場所について言わなかった。非常に良くやった。邪悪は彼女のこの様子を見て、しょうがなく釈放した。それから彼女は大法の仕事に全力を尽くし、資料を作り、チラシを撒き始めた。但し、私達同修は彼女をとても「崇拝」し、幾つかの資料作成組が彼女の言うことを良く聞いた。そして彼女の執着心も出てきた。その後、彼女は又捕まえられ、今回は幾つかの資料組と多くの大法弟子が暴露された。皆考えるべきだと思う。もし私達に執着心と漏れが無ければ旧勢力が迫害する言い訳があるのか?もし私達が旧勢力の按排を全般的に否定しなければ、それは正に旧勢力の按排に従うのではないか?従って、私達は必ず法に基づいて法を認識し、自分の路を正しく歩くべきだ。私はこう悟った。現在私達は毎日良く考えるべきだ。自分に漏れが無いか。これは正に小さいことではない。