日本明慧

常人社会で発生する全ては、学習者の心に向かって来るものである

文/心明

【明慧ネット】《2002年米国フィラデルフィア法会での説法》の中で、先生は「以前既に話しましたが、実は常人社会で起きた全ては今日においても、皆大法弟子の心によって促成されたのです。旧勢力が存在していますが、皆さんにその心がなければ、旧勢力も為す術はありません。正念が十分であれば、旧勢力もどうしようもありません。」と説かれました。

最近、邪悪な集団は、米国民であるチャールズ・リーさんを理不尽に逮捕し、罪状を着せています。これら邪悪な集団の醜悪さ、盗品を押し付け、罪に陥れようとする様なことはさておき、それらがなぜ、このような局面を造り出しているのかを考えてみたいと思います。
私達は、自分の中にある常人の心を、古い勢力に握られていないかと考えてみる必要があるのではないかと思います。もし、自ら自分に原因を探し、本当に無いのなら、それは全くの迫害であり、機会をとらえては、強力な正念で一掃しなければなりません。

私も自分の心を探ってみました。真相を伝えるときに、テレビ中継ジャックのことに及ぶと明確な説明ができず、しかも、他人にこの問題を聞かれることを恐れており、実のところ自信がありませんでした。ナチスによって、ユダヤの人々が虐待されていた当時、ある人が情報封鎖を突破して、ラジオ放送局、宣伝ビラなどの各種の方法を駆使して、ヒトラーの流言を世に暴露したら、ヒトラーはその人を“法律に違反した”としたことでしょうが、真相を知っている人々は、英雄とするでしょう。江沢民政権は、法輪功学習者に対し、全く法律に則ることなく、「名誉を剥奪、精神を侵害、肉体を消滅」させています。封鎖を突破し、人々へ真相を伝えることに関して、未だに私の心の中には、明確でないものが存在しているのかもしれません。

先生の経文「正念をもって物事に対処する」を果たして、どの程度理解しているのでしょうか。表面上だけの問題の理解をもって、事実そのものについて論じたのかもしれません。常人の角度から説明が付かないいくつかの問題は、神聖なる正法を修めていながらも、自分自身が“理に合っていない”かのように思われます。確かに深く掘り下げて、この問題を考えたことはなく、時には回避していました。

《北米巡回説法》の中での質疑で、「中国大陸学習者が出て来て洪法すると必ず逮捕されます。しかし、もし洪法しなければ、また法を正す過程の中で、自分の段階に影響をもたらす恐れが気になります。大陸の弟子はどうやって把握したら良いのでしょうか?」という質問に対し、先生は、「この2種類の思想は間違いです。出て来て洪法しないと段階に影響すること、円満に影響することなどを気にして、これの影響を恐れ、それの影響を気にしているのは本当の法輪功弟子の角度に立って問題を見ているのではありません。大法弟子であるなら法を実証すべきであり、衆生を済度すべきです。これらの常人の心があって、だから問題が発生しやすく、多くの問題が出て来るのです。」とお答えになりました。

以前、法を学ぶ時いつも自分がこの問題に関し、すでに認識していると感じていました。先生が申されているのは、出て来ていない大陸の学習者のことだと思っていました。今日、再びこの段階を学んでいたら、先生のお話しは、事実そのものについてではなく、法そのものであるということに気付きました。このお話は“大陸の学習者が出て来て洪法”する問題をたとえとして、大法弟子がどのように正念をもって、問題を見るのかという指摘ではありませんか?“大法弟子であるなら法を実証すべきであり、衆生を済度すべきです。”確かに、これこそが大法弟子の正念と行いの基点であり、このように重要な法理が、なぜ自分のことになると覚ることができなくなるのでしょうか?

もし、私達が“本当に大法弟子の角度に立って問題を見るのではない”ならば、基点はやはり、常人社会の何かを維持するということであり、そうなると古い勢力は、これらを見抜き簡単には見逃さないと思います。私達のこのような心は、修煉者に苦しみの難をもたらし、また、古い勢力は、一つの国家、一つの政府を左右し、大法と大法弟子に対し、災いをたらすことにもなり、その代価として、未来を破壊してしまうのかもしれません。

一つの極めて悪い事態が発生した場合、私達は時機をとらえるだけでなく、深く掘り下げて、真相をはっきりと説明しなければならないと思います。正念を発することは、同様に重要なことであり、その中で私達は自身の心を見直し、悪い考えを取り除き、徹底的に古い勢力の案配を否定しなければならないと思います。さもなければ、私達は真相を掘り下げて話すことが出来なくなります。恐れの心と誤りに制限されるからにほかなりません。

以上ささやかな一個人としての認識です。