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撫順市強制労働所の政策:一定の条件下で法輪功修煉者を打ち殺して責任を負う必要はない

【明慧ネット】文/撫順の大法学習者

2002年4月8日、遼寧撫順市の武家保収容所は一部の女性法輪功修煉者を瀋陽馬三家強制労働所へ移送させ、約80名の女性修煉者を辺鄙なところにある、廃業した小規模な化学品工場から改造した刑務所へ移送させた。女性法輪功修煉者らは、床の上の仮の寝床に寝かされ、環境及び衛生状態条件は極めて悪かった。

2002年4月12日、夕飯の時間、突然男子大隊が集まって、管理者の命令が伝達され、すぐに引っ越すと言われた。収容所の中において、これは邪悪な警官の使い慣れている手法であり、しばしば修煉者に対して行われ、深夜まで苦しめた。皆は長い移動時間の後、やっと解放され寝ることができた。修煉者らは、間もなく新しい苦難が来るであろうことを予測していた。今度引っ越した9大隊(新しい刑事犯を受け入れる大隊)は、武家保収容所の最も暗い場所であり、当局は9大隊を「最重要」と見なしていた。 

4月13日、政治委員の劉志剛により、大隊長呉偉、警官の李林などが、大きな牢屋に入り込み、白髪の60歳余りの劉紹昌氏を殴り出した。劉政治委員は革靴を使って劉氏を蹴り、引きずっていった。周囲の多くの修煉者は“警官は人を殴ることを許すものではない!”と大声で叫んだ。呉偉、李林は、制止しようとする修煉者をめった打ちにした。 

彼らは、李剛氏を引っ張り出し、殴ったり蹴ったりした。また李氏のベルトを抜き、そのベルトを使ってたたき続けたため、李氏の頭部、顔面は1段ずつ血痕ができ、鮮血が流れた。彼らは、ベルトが切れたことでやっと手を放した。 

仲宏喜氏は、かつて戦争を参加したことがある退役軍人で、戦争中でも体に傷を受けたことがなかったが、今回は打たれて体中傷だらけになった。警官の李林は、仲氏が先ほど人を殴ることを許さないと叫んだことを知ると、仲氏の目頭の上まで蹴り、続けざまに数回蹴った。劉越氏はめった打ちにされた。その日5名の修煉者はめった打ちにされて、管理分隊へ引きずられていかれ苦しめられた。それから 劉志剛は、あぐらをかくこと、目を閉じることを許さないという命令を下した。当局のこのような非人道的な体罰に抗議するため、翌日40数名の法輪功修煉者らは絶食しはじめた。 

九隊の武愛東は、直ちに大隊全体の凶悪な警官と、数十人の刑事犯を組織して、絶食した修煉者をめった打ちにし、電気椅子で処刑した。めった打ちする声、叫ぶ声が絶えず耳に入った。彼らは高圧電気棒を使い電撃を行った。1本2本ではなくて、同時に4本もの電気棒を使って電撃した。電撃された修煉者の皮膚が焦げ、ひどい水ぶくれなどができた。心身とも酷く傷つけられ、呼吸も困難となり、全身は力を失い、病的発汗が続いた。 九隊の隊長武愛東は、得意げに「今回、一回に27人を電撃したが、これはさすがに初めての経験であった」と言った。彼らはいつも古参の囚人を使い、残酷に修煉者を迫害した。武愛東は何度もそのため刑事犯に減刑することを言った。 

7月、武家保当局の修煉者に対する迫害は加速した。中央から命令があり、一定の条件下においては、修煉者を打ち殺したとしても、責任を負う必要はないというものであった。凶悪な警官武愛東は、直ちに修煉者に対する「転化」を画策した。気が狂ったように修煉者をめった打ちにし、各種の残忍悲道な手段を使い法輪功修煉者を苦しめたが、それはあまりにも凄惨な光景であった。