羅沃啓:23条草案から「細部に潜む悪魔」が現れてきた
—香港政府は法治の人権観念がなく 罪を着せようと思えば理由はいくらでもある
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香港法輪佛学会は2月23日、反23条立法の公開論壇を行った
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【明慧ネット】香港佛学会は昨日、「基本法」23条立法に反対する公開論壇「悪法23条に反対」を行った。当論壇に招かれた香港宗教界、民主派、人権組織、反23条立法団体と政治界の人士が、23条立法を反対する意見を述べた。香港人権監察総幹事羅沃啓氏はまず始めに意味深く語った。「実際、私達人権の仕事をする人はあなた方(法輪功学習者)をとても羨んでいる、それはこんなに厳しい環境でも、あなた方はこんなに団結し、こんなに堅持しているからである。もし、香港の民主を買い取ろうとしている力や、人権を勝ち取ろうとしている力もこうであれば、今の状況は全然違うでしょう。しかし、とても幸なことに、私達がやれなくでも、あなた方はよくやれる。」
非公開の欠席尋問はとても適当でない
羅沃啓氏は続いておっしゃった。昨年12月24日、「基本法」23条立法の諮問意見書提出締め切り前に、立法を反対する民間人権戦線(50数個の民間団体から結成された)は受取った立法に反対する意見書を数えたところ、最後の数日に、数はもうすぐ10万部に達しようとした。法輪功学員の努力により、数字は十七万まで昇った。この努力は無駄ではなく、香港政府は23条の一部の条文について修正を行った。しかし、とても残念なのは法輪功学員が関心を持っている部分は改修すればするほど、悪くなるばかりであった、非公開で尋問するだけではなく、上訴団体或いは人が未だ当局が提供する全ての取締り証拠を獲得する前に、審判を始められる、更に法院は影響を受ける人或いはその代表弁護師が欠席の状況でも審判を始められる、これはとても適切ではない措置である。
一人も安心できる人がいない
羅沃啓氏はこう指摘した。董建華政府、また中国中央が言う「法で国を治す」、或いは香港のいわゆる「法治」、それらは一部の人を処するために使う法律根拠を必要としている、その中の主要対象は法輪功学員、及び一部の演壇にいる人だ。こんな法理があれば、一人も安心できる人がいない。
彼は更に言った。新聞を開くと、みんな功績や徳を賛美する報道で、みんな「十一」乾杯の辞で、いかなるその他の政府を批判するニュースは出なくなる。それはなぜだろう?やはりマスコミが怖がるからである。一旦マスコミが怖がり、一旦学者が怖がり、一旦政治、公衆事務に参与する一人一人がみんな怖がると、社会は直ちに完全に変わる。従って香港市民の一人一人が自分の空間を守る必要があり、(ここにいる一人一人は先ずやるだろう)、社会全体のために、特に私達はもっと努力して、一人一人の公衆が上記のニュースが分かるようにしよう。
悪魔は細部にある
羅沃啓はこうおっしゃった。23条法律草案は既に出されており、その中の多くの細部にとても多くの問題がある、立法会議員の李柱銘は一度こう言った。「悪魔は細部にある」。これは事実だ。政府が法で人を治めようとすると、貴方を目標にして何か理由を探そうとすれば、探しやすい。ここには一部これについて既に自分で体験した法輪功学員がいる。政府が街頭に貼り付ける広告を規制する法律を利用して、学員を捕まえ、罰金を取ったことを覚えておられることだろう。これまで香港にデモ請願者の横断幕を規制する法例があるとは聞いたことがない。つまり、みんなが法例を少しぐらい良く改修しても、みんなが安心できるとは言えない。政府に法治の観念が無ければ、人権の観念がなければ、勝手に「罪を着せようと思えば,理由はいくらでもある」のである。学員が町で北京政府の法輪功に対する迫害を披露するチラシを配る場合、チラシを受取った市民がそれを捨てたら、政府は市民を教唆、協力してごみを勝手に捨てる罪を犯したと言うだろう。
羅沃啓は慨嘆しておっしゃった。とても残念なことに、香港には市民の権利と自由を守る民主の体制がない。更にある時には、香港の法律体制内の最終審庭もみんなの権益を確保できない。それは政府がもし勝訴すると最終審庭は最終審になり、もし政府が敗訴になったら、最終審庭は只の準決勝になり(最終判決権が人民代表大会にある、という意味)、また持っていって……(又人民代表大会に持っていって、法で解釈することを無視する。つまり香港政府は必ず勝訴しようとし、実際に勝訴できる、という意味である)。
人権公約:反逆するのは正しい
転覆は国際人権公約上特殊な地位がある。「世界人権宣言」にしろ、「公民権利と政治国際公約」にしろ、或いは「経済社会文化権利国際公約」の序言にはっきり書かれている。もし政府が法治と自由を保障できなければ、人の基本的人権を保証できなければ、もしこの政権が人民の権利を守れず、更に手中の権力で人民を威圧する場合、人民は追い詰められて無謀なことをし、このような強暴に反逆することは正しい。従って、羅沃啓はみんなの努力を希望し、この政権の性質を変えることを希望し、民主の日が来て、みんなにもっと多くの保証があることを希望した。そうしないと、彼は相変わらず多くの公民による合法的な抗争が出るだろうと信じている。
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