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公安局政保警察幹部が自ら心の変化について陳述

【明慧ネット】1999年まで、私は某市の公安局政保大隊にて政保の仕事を担当していた。99年に江氏集団が法輪功に対して弾圧を始めた時に、私は政保の幹部警察として最初からこの弾圧に参加したのだ。当時の私は法輪功及び法輪功修煉者に対しては少ししか知らなかった。私は只 「上部」からの指示に従って仕事を行っているだけで、事の真相は分からずに無感覚で無神経に従事していたのだ。

99年11月のある夜の11時頃に私宛に局長からの電話で、印刷工場と打ち合わせ連夜に法輪功に関する700枚の通告を印刷する手配をさせられた。印刷物の規格(裁判所による規格)も教わった。私は直ちに印刷工場の工場長に連絡し、印刷の件について話した。工場長もその後直ぐに社員に連絡し、連夜印刷の仕事に取り掛かったのだ。翌日朝7時に私は印刷工場へ行き、各関連部門に印刷済みの通告を受け取りに来るように連絡した。本来は市内の22箇所の村町及び5箇所の石炭工場に頒布することを要求されたが、私は面倒に思い、市内の2箇所最も大きい石炭工場だけに連絡をしたのだ。同年に私は一つの法輪功の案件に携わった。当時、私は法輪功学習者李清山氏(仮名)を15日間拘留した。しかし、彼女の自宅を訪ねた時に、子供の面倒を見る人がいないことが分かり、結局4日間早めに彼女を釈放したのだ。李氏の弟は大学の教師で、同じく法輪功学習者である。彼は休暇を利用して帰宅した日に、私の同僚が管轄の公安局のものに拉致された。そして、私は食事時間を利用して彼と30分程話したら、姉と共にあらゆる面に於いて非常に高い素質をもっていて、心の優しい人たちであることが分かった。そして、私は彼ら兄弟二人を通して法輪功問題について理解を深めたのだ。

私は日常の仕事処理の中で、各派出所及び会社機関から引き渡された「転法輪」などの大法書籍や「法輪大法は善いものだ」の横断幕を整理保管してから上部に渡した。しかし、上述のことを処理してから私と家族に一連の事件が起きたのだ。

1. 私の母の足はテレビで怪我をして1年以上経ってからやっと良くなったのだ。2.私の夫は友人の家でついれんを貼る時に高いところから落ち、足を骨折して1年以上の治療が掛かった。3.昨年ある日、私が乗った車が転覆したため、私自身が軽傷を受けた。4.私の夫は元々健康体なのに、ある日突然胃が出血して命が危なかった。そして、手術した後はよく頭痛がするため、今は自宅で療養しているのだ。5.今年の7月に私と家族三人に友人一人と共に車で某市へ向かって連夜で走った。途中、車のタイヤが急に外れて飛び出て、危機一髪だった。6.仕事の失敗で私は留置所に入ってしまった。

留置所にいる間に、私は自分に起きたことについてよく考えたが、30歳過ぎの私は今まで人のものも奪わず、悪いこともしたことがなかったのに、何故一連の事故が起きたのか、どうしても考え付かなかったのだ。ちょうどこの時に、大法学習者の張鵬英氏が悪人に通報され、留置所に入れられて、私と同じ部屋になった。張鵬英氏と40数日間ずっと一緒にいてから、私が大法学習者は皆人が良く、心が優しく、上品であることを発見したのだ。そして、彼女たちは私に真相を話してくれた。私は天安門自殺のことは報道通りだと信じていたが、彼女の真実の話しを聞き、そして、自分も思い出しながら、やっと分かったのだ。彼女が言ったことは真実であるのだ。私はこの時に始めて江氏ヤクザ集団が企んでいることが分かった。私はこの時に始めて因果応報が天理であることが分かったのだ。

同胞よ!私が自分に起きたこと及び真実を話したのは、決してテレビや新聞に報道される歪んだ情報、捏造に騙されないようになって欲しいからだ。法輪功を修煉する人々は皆良い人なのだ。正義感を持っている人々に彼たちに与えられるべき公正を主張するように呼び掛ける。