日本明慧

大法弟子は一体となり、堅固で粉砕されることなし(二)

【明慧ネット】8月、カナダ外交部長はASEAN外交部長会議中、唐家?中国外交部長に対し、正式に法輪功の問題を提出した。9月、カナダ学習者が提案した「全世界法輪功学習者救援委員会」が成立した。これは、救援活動がカナダから国際範囲まで広がったことを意味しており、国際社会においてまさに山を押しのけ海を覆うほどの勢いで救援活動が展開された。救援の呼びかけは当初の12人から80人あまりまで増え、現在は100を超えている。より多くの学習者が法理上で高まると共に、以前のような不安を放棄して勇気を出し、表に出てきて自分の体験で世人に真相を伝え、より多くの善良な人々に虚言から目を覚まさせ、邪悪を有力に震え上がらせた。電話チームは迫害の実例をチラシに作成し、国内に大量にファツクスを送った。また、国内の労働矯正所に電話をかけ、善には善の酬いがあり、悪には悪の酬いがあるという天理を告げた。このすべては邪悪に大きな打撃を与え、同時に大きく国内の弟子を励ました。明慧ネットが救援活動に関する報道をする度に、私の母親が監禁されている北京女子労働強制所で、大騒ぎが起こる。警察は極めて恐れており、絶えず母親に訊問していた。母親は警察の口から海外の救援活動のことを知った。

ひとりの親戚がVOAの私への取材を聞いていた。直ちにこの情報を監禁中の母親に知らせた。これはあらゆる情報が封鎖された牢屋にいる同修にとって、どれほどの励ましを与えたかを想像できないだろう。母親は警察に「私は自分の息子と彼の友達を誇り思う」と言った。ひとりの学習者の母親は悪名高い馬三家に監禁されていた。彼女の故郷の学習者は海外の救援活動の情報を見た後、チラシを都市のあらゆるところ隅々まで貼った。これは邪悪を有力に震え上がらせた。より多くの監禁された学習者の待遇が改善された。北京女子労働強制所は、国際社会の更なる怒りを招くことを恐れ、学歴の高い学習者と海外の親族関係を持つ学習者を登録し始めた。このとき、トロント学習者である呉艶霞の妹、及び天津の労働矯正所に監禁されていた呉艶英氏は釈放された。これは救援活動を開始して以来、初めての刑期内に釈放された例である。これはトロント及び全世界の学習者を大きく励ました。それだけでなく、真理は打ち負かされることがなく、邪悪が如何に凶暴に表れても実際は一撃にも堪えない。

10月、邪悪の首魁がアメリカを訪問する直前、私はモントリオールの学習者、林慎立と李進宇と共にアメリカの救援活動に協力するためテキサス州に来た。僅か一週間で、我々はテキサス州の主要な都市の政府関係者とマスコミを回った。記者会見は毎回盛会だったことにより、我々は大きく励まされた。天象は本当に変わった。まもなく、我々の親族を救うための車リレーが始まった。カナダとアメリカの四箇所から出発し、テキサス州に向かった。この壮挙と参加した迫害を受けた学習者の親族は一挙にマスコミの焦点人物となった。トロントの車隊が出発する前に、参加者の一人の中国で監禁されていた父親と弟が刑期内に釈放された。アメリカにおいて、王志文、周雪菲の物語は誰でもよく知っている。金子容子さんと共に北京に行った日本の学習者が地球の向こう側からやってきた。戴志珍、章翠英さんは遠いオーストラリアからやってきた。林慎立と李進宇さんはモントリオールからやってきた。李進宇を取材したときに、私は「去年の同じ時期、あなたは夫を救出するために行われたSOSウォークリレに参加されました。今年、今回の親族救援活動に参加してのご感想は?」と聞くと、彼女は「真理と正義は打ち負かされることがない、と強く感じている」と答えた。

丁度このとき、カナダ国会は満場一致で、カナダ法輪功学習者の親族を救援する決議案を可決した。私の母親もその救援リストに載っていた。同時に、救援活動は北アメリカ以外の国々でも展開された。オーストラリア、日本、ヨーロッパにおいて、我々を支援する声はますます高まっている。より多くの学習者が救援活動に積極的に参加しにきた。我々は、「これは数人の親族を救援するだけでなく、法を正す過程を今日まで歩んできて、全部すべては大法のためであり、師父の弟子として、我々の心が至る所は結果が必ず現れてくる所である。」と悟った。弾圧はまだ続いており、国内には十数万の学習者が監禁されており、より大きな救援活動が計画されている。

朗報が続々と伝わってきており、クリスマスの前夜、トロント学習者である彭天英の妹、彭天雄が刑期内に釈放された。正月5日、私の母親が14ヶ月の監禁生活を経てついに無事に家に戻ってきた。電話を出た瞬間に、私は何を言おうとしたか分からなくなった。しばらくの沈黙後、母親が「海外の救援活動のことを明慧ネットから知っていました。私の代わりに皆さんに感謝の気持ちを伝えてください」と言った。その瞬間、距離感がなくなり、母親及び母親の後ろに幾千幾万の大法弟子が私の側にいるような気がした。当時はちょうど夜中の1時だったが、私の周りに光がきらきらと輝いているような感じがした。過去の400あまりの日夜を振り返ると、そのすべては一瞬のようであった。私は、自分がいかに大法の中、大法弟子からなるこの大家庭でますます成長してきたかを感じた。師父の慈悲な眼光の中、その幾千幾万の新世紀に向かっている足跡に自分の一行もあった。