日本明慧


貴重な追憶(二)

文/大陸大法弟子:慧蓮

【明慧ネット】同修が書いた文書“師父に隋いて万里を行く”を読んだ時、とても感慨深く思わずその年自から師父について成都に行ったことを思い出しました。何度も自分の耳で師父の洪法を聞くと作者の同修と類似した経歴がありました。また、大法が伝わって十年余りの間に経験したさまざまな事柄を検証してみました。

私の教育レベルは高くありませんが大法が世の中に伝わる時、法は私に特別な光栄と師父が当時行った洪法の検証を与えてくれました。それ故に同修と共に精進し、うそをあばいて大法を正すと同時に、古い観念の障害を捨て去る過程を私はベストを尽くして書きます。

 *  *  *  *  *

追憶 3

2001年の下半期に、次のことを覚えていた。邪悪な迫害のために、共に修煉する仲間と連絡するのが難しく、真相資料も少なく、即時に先生の経文を手に入れることができず、仲間同士の交流や学法もあまり見えなかった。このような環境の下で、私はいっそう衆生を救う責任をはっきり認識することしかできなかった。私達の地区のいくつかの現象に対して、待たず、頼らず、方法を考えて、連絡を失った仲間を探して、再び大法の粒子団を形成するようにした。誤って邪道に陥った人に対して、少しの望みさえあれば彼らを放棄しない。まして先生は1人の弟子も放棄しないから。私は思わず94年の初めのある事を思い出した。 

ある古い修煉の仲間が私に話した。「すべての講習会ではみんな健康状況略歴を書き込むのだ。先生はいつも1枚ずつ閲覧していた。今参加した人はだんだん多くなって、彼ら(先生の身辺の人員)が時には寝て目が覚めてくるとまた先生がそこで選んだり、読んだりして、地方の授業を受けた学習者(全国の各地の授業を受けた人)を探していたことを見た。」毎回説法が終わった後に、体験談の原稿を出した学習者がいた。毎回先生は新旧の学習者みんなに体験談を出せるように要求したから。先生は一編ごと、漏らさずに読んでいた。しかし作業量はどれだけ大きいのか、誰も想像することができない。先生の身辺で働いた学習者はその時言った。「私は先生がいつ眠るかを知らないで、いつも夜明けになっても、まだ先生が精神を集中して探したり、読んだりしていた。」私自身もよく先生がいつも学習者の出した感想文を持ち歩いて、車に乗った時、休みの時も読んでいたのを目にしていた。衆生を救うというのは、どんな責任を負うことだろう!その時私はある仲間の書いたものが汚く、まじめではないのを見て、本当に彼のために口ぶりを嘆いた。皆さんは先生の辛さと苦い済度を知っているのか!しかし先生はこれまで弟子の書いたものが汚く、よくないため放棄したことがなかった。先生は一人の縁のある人を落としたくないから!これはまたどれほどの寛容、慈悲深いことだろう!常人の中で指導者に報告を書くときにきちんとしなければならないことをよく言うのに。実はまさに先生のおっしゃったように「実は私はあなた達自身より更にあなた達を大切にしている!」先生は弟子と衆生のことですいぶん苦労した。

師父の弟子として、うまく行わない理由がない。手を伸ばして、彼らを助けて、法を正すことにもどってきてもらい、共に精進する。これは私の責任であり、このようにするべきだ。私はもっと多くの仲間と連絡して、全体になって正念を発して邪悪を一掃する一方、すべての方法や各種の形式を利用していた。対抗する矯正教育の人に対して、まず彼らの後ろにあった、彼らを制御して利用するその他の空間の邪悪を取り除いた。私の心の底で呼びかけた。昔の共に修煉する仲間よ、すぐに帰って来ましょう!機縁は貴重です、落後しないでください! 

追憶 4

私は表に出てきて、法を証明するのがわりと遅かった。その時どうしたらよいか分からなかったので、自分は1日中家に閉じ込もって法を学び、本を読んでいた。自分は正しい道を歩んでいたと思った。ついに2000年に先生の経文が発表された。「心自明」から1篇ずつ発表されてから、「理性」まで、先生の法が私に目を覚させた。(適切に言うと、先生が法をはっきり説明したから)「彼らの邪悪を必ず世人に知ってもらい、これは世人を救い、済度していることです」。師父が言う通りにやらなければならないので、私は出て、もっと多くの人に真相を知らせ、世人を救い、済度するべきだ。その時、真相資料がめったに見えず、私は1部さえあれば、私はどうするべきかを知っている。頼らず、待たず、資金を集めて、自ら解決する。やっとこの1歩に踏み出してから、更に法を学んだ時、学べば学ぶほど法理がもっと明白であるようになった。そうだ、私は元来とっくに表に出て法を証明するべきだったのだ。どんな心が私を障害したのか?内に向って探してみると、私心、恐れる心、覆い隠す心、独りよがりな心、責任を負わない心だ!すべての不潔な心で、自分の責任を忘れてしまった。2000年「国慶節」前後で、私はもはやじっと坐っていられないで、法を実証しなければならない。私は「法が乾坤を正す」の横幕を身に付けて仲間と一緒に天安門に行った。 

その日、天安門広場の上で、共に修煉する仲間が約百数人いて、続々とみんなも広場の中心に来、私の位置ちょうど大きい群の端で、私服警官、パトロール・カー、警官はどこにも見られるが、私は正念が強くて、少しも恐れる心がなかった。私が「法が乾坤を正す」横物を広げた時に、心の中は少しも恐れていなかった。凶悪な警官、パトロール・カーが私に向って飛びかかってきて、私は彼らを見て聞いた。「あなた達は何をするのか?」彼ら2人は感電したかのように、同時に手を放した。あの時、私は自ら「一正が百邪を圧する」ということの威厳さと偉大さを体得した。その日に無事に帰ってきた。帰ってきた後はまた一刻も休まないで、資料を身に付けて、表に出て法を実証し、新しい法を正す道に歩んで行った。

2003-2-11