日本明慧


キャンパスが拘留所となり、監視役を命じられた同級生は、
問題が起きたら“卒業させない”と脅かされた

2003年3月16日

【明慧ネット】私は法輪大法を修煉しています。2000年にはまだ大学に在学していました。2000年7月、どこにでも陳情できる所がない情況下、天安門広場に行き、煉功(打座)し、政府及び世の人々に情況を訴えようとしましたが、警察の手により護送車で派出所へ連行されました。看守所に移され、三日間監禁後、北京の事務所に送られそこで監禁されました。三日後、地元の派出所に戻されました。その後、指導員と三名の講師に迎えられ、学校が開催する洗脳教室に送られました。その間は、留学生寮から出ることは許されませんでした。十日後、派出所から拘留所に送られ、15日間監禁されました。9月に学校が始まった後も、引き続いて洗脳教室に送られ、授業を受ける権利を奪われ、その間大学の講師寮の一室に20日も監禁され、一人の警備員と一人の雑役人の看守を受けました。そして、十一月に休学を強いられました。

2000年12月北京へ行く汽車の中で、駅派出所の警官から、李洪志先生を罵るよう無理やり要求されたましたが、拒否したために、強制連行され身体検査されました。そして、監獄に送られ6日間監禁されました。その間ずっと断食抗議を行いましたが、“食料代”として300元を徴収され、300元で購入した電車の切符も没収され、返してもらえませんでした。6日後、派出所と地元の610責任者等により連れ出され、派出所で48時間監禁された後、看守所に送られ一ヶ月監禁されました。

監禁期間が満了後、指導員、警備副所長により、強制的に酒店で開いている洗脳教室へ送られました。教室には鉄門、鉄窓、警備などがあり、監獄と何ら変わりがありませんでした。拉致されて来た法輪功の修煉者と一緒に、一つの小さい部屋に監禁され、二人の工作人員に看守され、部屋から出ることが許されませんでした。一ヶ月間の監禁後不法に強制労働1年を告げられました。

労働矯正所から出て学校に戻った後、一人だけ学生寮から出されて住まわされ、それも二人の同級生と(学級委員ともう一人の同級生)一緒に住まわされました。この二人の学生は、定期的に事務所へ報告に行かなければなりませんでした。この二人は、一歩も離れなれずに監視するよう要求されており、何事も一緒にでなければなりませんでした。もし大法学習者が陳情へ行ったり、あるいは何らかの情況が発生したら、彼女らも卒業できないと言われていました。

卒業して家に帰った後、新しい身分証明書を取りに行こうとしましたが、既に派出所によって、没収されていました。そして、派出所の警官からは、私の監視を行うと明確に告げられました。