日本明慧


“旧勢力の按排を否定する”についての体験会得

【明慧ネット】
“迫害の最中でどれ位の比率の人数が旧勢力の按排した道を辿ったのか”についての討論

李先生の《2002年フィルデフィアにおける説法》を拝読してから、旧勢力の按排についての認識は更にはっきりとしました。表面上では邪悪が大法及び大法学習者に対して悪行を行っているが、その行為は鍛え上げるための行いに耐え切れなくなった大法学習者を淘汰することである。そして、邪悪生命が大法及び大法学習者に対して犯した罪で彼らを消滅させ、宇宙を浄化することが旧勢力の按排になるのです。これはとても鷹揚で立派に見えますがそれは外面的にそう見えるだけであって、彼らはその中から実質的に得たいものがあるのです。“私は旧勢力の按排についてよくよく考えると、獄中で意志固く堅持する学習者を含めて沢山の大陸の学習者達は、迫害開始から現在に至るまで、未だに旧勢力の按排の下にいることが急に分かったのです。

私は大陸の大法学習者です。自分の回りにいる大法学習者たちが捕らわれの身になることを数多く目撃しました。彼らの中には転化され、不必要な回り道をした学習者もいるが、一部の学習者は常に意志固く堅持しているのです。以前の私は、一部不必要な回り道をした学習者は旧勢力の按排した道を辿った者だと思ったのですが、実は獄中にいる意志固い学習者たちも旧勢力の按排の下にいることを今初めて理解したのです。未だに獄中にいる、或いは絶食を持って刑務所を脱出した彼ら意志固く堅持する大法学習者は全員邪悪に迫害されたのです。この全過程は旧勢力の言い方によれば、“大法学習者を鍛え上げ、たくましくさせた”ことになるのです。そして、転化された者は“大法学習者に相応しくない者を淘汰するに当てはまる者”になるのです。又、意志固く堅持する者は“鍛え上げられ、たくましくなった者”になり、また酷いのになると未だに“鍛えられている”のです。迫害が始まった当初のことを思えば、沢山の修煉を堅持する学習者が刑務所に入って、“鍛えなければ”円満もできないし、威徳がなく、何かが足りないと思っていたのです。この考え方は正に旧勢力の按排に的中したのではないでしょうか?我々が旧勢力の按排を否定するのであれば、旧勢力が仕組んだ“鍛え上げる”ことを受け入れてはならないのです。仮に獄中でも常に意志固く邪悪のあらゆる迫害を受けても動揺せずに、旧勢力にあなたが“鍛え上げられ、たくましくなった”者と認められ、釈放されたとしても、これも旧勢力の按排の下になるのです。釈放されるまでの間に時間、精神と体力の損失は多大であって、これらも全て法を正すことに影響しているのではないでしょうか?

旧勢力の按排は要約すれば、“迫害”の二文字です。他に“鍛え上げ、淘汰、消滅”などは全部後から付け加えられたものです。全ては“迫害”から始まったものです。我々が彼らの“迫害”を否定することは、彼らの“按排”を否定することになるのです。どのように旧勢力の“迫害”を否定すれば良かについて、具体的な例は明慧ネットに載っている沢山の文章を参考にすることが出来るが、私個人としては次の各項を挙げたいと思います。

一. 法を沢山勉学すること。実質的な修煉を行い、心性を向上させること。
二. 正念を発することを多く行うこと。そして、正念を発する時は質を重んじること。
三. 身回りの安全に十分に注意し防御すること。ファシスト統治下の地下工作員のように万全の安全措置を講ずること。
四. 智恵を持って真実を説くこと。智恵に満ちた方法と愚かな方法では出てくる結果と効果の違いは明らかなのです。

私が達しているレベルは限られているので、不適切なところがあれば、是非ご指摘ください。