日本明慧


半身不随が突然回復し、恩返しに大法を護衛する

【明慧ネット】私は他の学習者が行動を正し法を正している内容の文章を沢山拝見し感動を受けた。私自身は大した壮挙はないが、大法が私に新たに生きる力を与えてくれたこともあって、私自身の修煉及び法を正す経験を皆さんと一緒に学びたい。

私は退職した工員である。一年間働いてやっと借金を返したころの94年5月に突然災難が飛んで来た。健康そのものだった私が脳血栓で倒れ、半身不随になった。家族の健康状態も良くないし、二人の子供もまだ学校に通っているのでその時の私は“この家庭はもう駄目だ”と思った。暫く経って、家計の負担はすべて妻の肩にかかり、私の4ヶ月間の入院費用は何と3万元になっていた。お金を借りられなければ、病院側も入院させてくれないし、まさに病気を患うことすら出来ない状態だった。この病気は治り難いと知っているが殆どの人は自活できないのだ。私も95年まで毎日の生活は自分で処理できなかった。

そして、96、97年になって少し良くはなったが腕は真っすぐに伸ばせず、足はびっこを引く状態だった。私は面子を保つために外出を控えるようになり家族も出かけなくなった。私は段々と人と話さなくなって、親しい友人との接触も避けるようになり、気持ちは非常に沈んでいた。娘は借金返済と私の薬を買う為に学校を退学し、妻と共に修理の仕事をしながら苦しい毎日を送っていた。私は毎年の薬代だけでも3000元以上掛かっていて、治療の為に各地の名医や気功師を訊ねたが、結局は後遺症を取り除けなかった。妻と娘は毎日6回、4年間に亘り、一度も休まず私にマッサージをしてくれた。又、商売しても、毎日の生活費すら稼げず、無論借金の返済も出来ない状態だった。当時の私はよく涙を流し、命を絶とうと考えたこともあった。

法輪大法が私に新たな命を与えてくれた、家族全員を救ってくれたのだ

1998年8月に近所の人が私に法輪功を紹介してくれた。彼女は《転法輪》及び《法輪仏法・精進要旨》も貸してくれた。私は本を読んで、師父が仰ったことが全て天理であることを認識し、《転法輪》は正に天書であると感激した。それから、本を読むことが楽しくてやめられなくなった。その後、私の顔にあった憂いが消え、元気になった。数日後、私は皆と師父が済南にて行った説法のビデオを見た。又、煉功場へは毎日いつも他の人より早く着くようにしていた。更に、気功のやり方についても煉功場へ出かけ、他の人と一緒にやるようにした。私は左腕が不自由であることで、最初に法輪総椿法を練習した時に、あげた左腕は自然に下がるようになり、気づいた時に又腕をあげるようにしていたが、4日間皆と一緒に煉功をしてから、私の腕は下がらなくなり抱輪の形が出来てそれを続けられるようになった。しかも、5セットの煉功を他の皆と同じように出来た。その日から、奇跡が起きた。私は普通のように歩けるようになり、元気になって人に会う度に良く喋るようになった。そして、商売が忙しくなると私も手伝うようになった。その後、私は歩いている時でも、常に師父の済南説法録音テープを聴き、時間があると《転法輪》を読んだ。心身ともに常に法と一緒にいると疲れも忘れ、自分が病人であることすら忘れ、いつしか薬を飲むのも忘れた。そして、家族全員が法を聞くようになり、私に一日6回のマッサージをすることも忘れた。私はこの時に薬と無縁になった。現在に至って5年も経ち、私は薬一つも取っていないのに全くの健康体となっている。私を知っている人達も私の変化を喜んでくれ、同時に法輪大法が善いものであることを知った。

法を勉強し煉功をするに連れ、思想も道徳も更に高い状態へ一段と進んだ

師父が“我々の修煉の過程においては、自分自身が持っている良くないものを除き取ることである”“あなたは心性の修煉を重んじなければならない。宇宙の特性である真、善、忍に従い修煉する。常人が持っている欲望、良くない心、悪事をする考え方を除き取る。”(《転法輪》)私は師父の教えをしっかりと心に留め、常に修煉者が持つべき基準で自分に対して求めるようにしている。

店はちょうど国道の入り口付近にあり、国道の道は何年もの間補修工事がなくて、道が非常に悪く、車が通るとよく物を落としたりする。私は法に出会う前は、体の健康状態が悪いが財物を募り集める心が強く、よく店の入り口付近に落ちた大きい桶や食べ物、焼き物などを拾ったりしていた。法に出会ってから、道路補修工事を行う前に、私は2回の出来事があった。

その一は、私が大法を習い始めて一ヶ月経った時のことである。ある日、私が知らない間に、息子は450元が入っているカバンを拾った。落とし主は慌ててあちこち探し回ったが、見付からず落胆してトラクターを運転して帰ろうとしたところだった。この時になって、やっと息子から自分がカバンを拾って隠していることを小声で話した。私は話しを聞いて慌てて子供に“何故早く言わなかったのだその人を止めてカバンを返しなさい”と言った。その人はカバンを受け取り“ありがとう、本当にありがとう、私は善人に会ったに違いない。実は化学肥料を買いに来たのだ”と感激しながら50元の謝礼を私に差し出した。私は断りながら、自分は法輪功を学び、李先生の教えに従ったのだと話した。以前の私だったら、きっとこうはしなかったのだろう、盗んだものではないから、拾ったものは自分のものにする考え方を持っていたからだ。その後、妻がこの事を知り“450元は大した金額ではないが、かなり働いてからやっと稼げる額だ。お金は返すべきだった。”と言った。正に一人法を学び、家族全員が受益するとのことだ。これは私が法を学んでから最初に体験したことだった。

その二は99年春のある朝、輸出荷物を詰め込んでいるコンテナトラックが店の入り口を通る時に、車が揺れた為に後ろの扉が開いて中から輸出用のニンニクが13箱も転び落ちた。私はそれを見て、すぐさま右側の運転手のいるところへ走って大声で呼び止めようとしたが、運転手は全く私の声が聞こえなくてそのまま走り去った。13箱のニンニクは7−8人が群がって奪い取られた。当時の私は奪い取ろうとは思っていなくて、只運転手のことを心配するばかりだった。事後、他の人が私のことを愚かだと言ったが、自分は修煉者として他人のことを先に考えてあげるべきだと分かっているので、運転手を呼び止めることは出来なかったが、自分が落ちた品物を拾えなかったことに対しては全く悔いはなかった。

私は日常の仕事の中でよく地方からの客に会う。大法に出会う前は、常に彼らから十元か八元は多めに取ろうとしていたが、修煉をしてから、自分の今までのやり方を考えるとあまりにも修煉者の基準と懸け離れすぎていて、非常に後悔した。人にサービスを提供する場合に差別はあってはならない。大法に出会ってから、私は仕事に対してより一層真面目になって働き、全ての客に対して差別しないで、リピーターの客に良い印象を与えることにした。そして、自分が大法を修煉した後の良い変化と良いことを来る客に話した。又、邪悪に迫害された後は、私は接した人々に真実を説いた。私に仕事を頼む地方の客の皆は、自分が法輪功を修煉していることを知っていて、私に会う度に必ず先に“法輪大法は良いものだ”と挨拶してくれる。私は彼らが真実を知ったことに喜びを感じている。

4.25、7.20大法を護衛するために立ち上がる

7.20江氏集団が大法に対して天地を覆うような迫害をし始めた。師父に対しても陰険悪辣な中傷攻撃をし、全国各地の煉功場を破壊した。これは、私にとってあまりにも不公平で悔しいことであった。こんなに良い大法が本当に陰険悪辣な政権・支配権を握っている者によって侮辱中傷をされることで、自分の心が深く傷つくことを覚えた。そして、躊躇うことなく、自分自身が大法を修煉してから如何に健康になったことを彼らに説明するために北京へ陳情に出かけた。当時は、バスに乗ると一寸した距離でも検問所があり、大法学習者を見つけるために乗客全員のカバンや手荷物の検査を行い、人々に恐怖を与えていた。

当時の私には恐れる気持ちは一つもなく、只北京へ(国家信訪局)早く到着したい一心だった。途中で自分の身分は見破られなかった。自分の命はすでに師父と大法に与えられたものであると考えると、その命で師父や大法を護衛すべきであり、他の一切は自分の頭の中には無く空白となっていた。只々、是非を論じ、理を主張したい思いだけだった。

北京では陳情のため全国から来た学習者の数があまりにも多くて、北京の全てのホテルが一杯になったため、一部の学習者たちは野宿をせざるを得なかった。私服警察、悪党警察、特別警察はそれを利用してあちらこちらで大法学習者を逮捕した。そして、7.23の午前2時に北京城内で一斉に大法学習者を逮捕することになった。警察は私を起こして尋問した。私は彼らに自分の体は法輪功を学んでからどのように良く変わったかを話し、そして、今回は北京に来た目的が法輪功は良いものであること、政府がしている法輪功に対する行動は間違いであることを説明しに来たのだと話した。警察は私の話しに少しばかり心が動かされた様子だったが、結局30分後に私たち十数名の学習者を豊台体育館へ連行した。体育館には陳情のために全国から北京に来た大法学習者で一杯になっていた。各省や市は区分されていて、数日間の間、頻繁に専用車で連れ出されたり連れて来られたりするので、毎日人が入れ替わり、正確な人数は確かめられなかった。

丸々3日間の監禁中に私たちには水すら与えられなかった。99年7月の北京は盛夏に当たる季節で、気温は40℃に達していたが全ての大法学習者は腹が減ったり、咽喉が渇いたり、熱さを全く感じなくて、それぞれの区分された場所で座禅を組んでいた。天地を覆う迫害の前にあってもなおこのような荘厳かつたくましい場面を見たことはなく、まさに正法修煉の偉大さの現れだった。

7月26日に市の公安局が私たちを地元に連れ戻した。そこには既に30数名の学習者が監禁されていて、全員が警察に “私たちは間違っていない、間違っているのはあなた達なのだ”と是非を論じていた。しかし、警察らは私たちに口を開かせないようにした。彼らは私に法輪功を続けるのかと聞いた。それに対して、私は大法の良さを理解しているので、一生涯続けようと思っていると答えた。しかし、彼らの厳しい尋問の中でつい私は大法の書籍、説法テープ、煉功テープを所持していることを話してしまったので全ての物は没収されてしまった。私は本当に悔しかった。

邪悪の元凶は権力を盾にして、正しいものを無理やり悪いものにしたり国家の人力物資を大量に費やしたりして、国家人民に対して災難をもたらした。文化大革命の時どれほど多くの良い人々が残害されただろうか、それが一番分り易い例である。私たちは1週間監禁されてから釈放されたが、勤務先には24時間体制での不法監視が命じられた。更に“外出は禁止だ。買い物に出かける時でも前もって指示を請うのだ”と脅迫された。
当時、真相を知らない人々は恐怖を覚え、私たちを犯罪者扱いにした。しかし、大法学習者は大法の良さをしっかりと知っていて、良心に問うても決して恥じない。自分が正しければ、後ろにどんな怪しい影があっても怖くないのだが、常人には理解できない。

正々堂々と法を正す道程を歩む

邪悪を暴き、真実を説き、大法を実証するために、2000年6月のある日私と他の学習者たちは市内各所に200あまりの“法輪大法は善いものだ”、“法輪大法は正法だ”、“真善忍”の横幕を掛け、百枚近いスローガン入りの紙を貼り、60枚の焼身自殺の真相CDを配って、邪悪に大きく打撃を与えた。その後、邪悪は恐を感じて、大法学習者の一人一人に対して、恐喝、尋問を行った。そして、市の公安局の4人が私を訪ねて来て、私に向かって、“あなたはやったのか?”と聞いたので私は、“やった”と答えた。又、“どこ?”と聞かれ、私は、“町中に”と答えた。そして、“残りはあるのか?”と聞かれ、私は、“ある!君たちに真相CDを2枚残して置いたのでよく見なさい。”と答えた。彼らに、“君たち若者は文化大革命の時代を経験していないから分からないのだ。当時打倒劉少奇、小平の中身とは、彼らが悪者だと言うことだけでの理由だった、後の衆はただ騒ぐだけだった。結果はどうなったのか?と話した。しかし、悪党警察は私の話を中断して、”あなたのこの話によると3年刑期になる。連れて行くぞ“と言いながら家宅捜査をした後に、私を強引に連行した。私は彼らに”私は間違っていない。大法は私に新しい命を下さった。私は自分の命で恩返しをしても悔いはないし私はもっと沢山の人々に大法の良さを知ってもらいたい“と話した。

師父が“大法学習者である以上、邪悪の迫害を受ける際に何故恐れるのか?恐れる者には執着心があるからだ。さもなければ、消極的に受けることは拒否すべきで常に正念を持ち悪党らを正視すべきである。如何なる環境においても邪悪の要求、命令、指示を拒否するのだ。”と仰った。(《大法学習者の正念は威力を持つものである》)丁度このとき、一人の警察のトップが鼻息も荒く激怒した表情で私に向かって殴ろうとした。私はどんな情況においても常に大法を基準に自分のすべき行動をしている。如何なる結果であれ自分自身の一念で悪人の前で私は仏法の超能力を使い、正念を発した。これが又素晴らしい威力だった。その警察のトップは私に向かって指を指しながら“お前、お前...”としか言わずに後ろに向いて去っていた。そして、もう一人が私に“仕事に帰りなさい”と言った。私は元気に派出所を出た。

2001年に邪悪は再び“回訪”を行い、警察は私のところを訪ねて来た。彼らがどうもいい加減にあしらおうとする様子だったから、正に真実を説く絶好のチャンスだと思い、又、彼らも聞き入れてくれたので、彼らに“焼身自殺捏造案”、“精神病殺人捏造案”についての真実を全部説明した。最後に、彼らは私に自分の認識を書くようにと求めた。私ははっきりと:人である以上はより良い人にならなければならない。事をなす時は虚偽を弄らずに、正しいものは正しいものであり、邪悪ものは邪悪そのものである。邪は正に勝たないのだ!と書き残した。

真実を説き、邪悪を根絶する最後の時期であり、時間が緊迫していると言う認識が必要である。師父が私たちに託した3つの事をしっかりと実行すべきである:出来る限り《転法輪》をよく読むこと。貴重な時間を使い随時に真実を説くこと。時間通りに正念を発すること。徹底的に他の空間にいる邪悪を根絶して法が人間を正す時を迎えるのだ。

以上は私個人の修煉の経歴感想であり、不適切なところがあれば、是非ご指摘下さい。