大法弟子の張長明が佳木斯強制労働矯正所の楊春明と楊文兵に虐殺された事実
2003年3月14日
「明慧ネット」張長明は男、50歳前後で、黒龍江省七台河市の新建炭鉱労働者である。1999年7月20日の後、正義を言い広め、大法に正義の返還を求めるため、依然として北京へ上申に行った。その後、七台河市へ連行され、当年12月に不法に三年間の労働矯正の懲役を下され、黒龍江省佳木斯強制労働矯正所に監禁された。2000年11月3日に、他の十名の男大法弟子と一緒に、正念で労働矯正所を飛び出した。張氏は街頭をさまよって一年後、再び新建炭鉱警備課の悪警備に捕まり、佳木斯強制労働矯正所に送られ、酷刑で苦難をなめている。
2003年2月15日に、張氏の家族は人民元千元を持って労働矯正所へ面会に行け、という知らせを受けた。しかし、家庭は貧乏で、二百元しか出さなかったため、面会を拒否された。
2003年3月1日に、張氏の家族は張長明が病気になって、早速労働矯正所へ連れて帰れという知らせを労働矯正所から受けた。実は殺人者の楊春明と楊文兵が張長明の頭に物を被せ、ドライバーなどの凶器で張氏の頭をひどく刺したり、打ったりした。その時は非常に恐ろしかった。彼らが止まった時、張長明の頭部はもうひどく変形し、大部分がうっ血し、頭蓋骨内部が出血し、しかも絶えず血を吐いていった。張氏が病院へ運ばれたが、医者は彼がもうすぐ死ぬと見て、入院を拒否した。
2003年3月2日午後3時30分ごろ、労働矯正所が専用車で張長明を家へ送ったが、500元を請求した(家族には払う金がない)。その後、張長明が血を吐き、絶えず血便を出していた。話すことができず、食事もできなかった。その夜の7時30分にこの世を去った。その時、背中が全部紺色になっており、両足が萎縮し、胸、口蓋、右腕には大きな紺色のあざがあった。死んでから二日目にも、口から血が流れてきた。張氏の家族は悪警察に監視されている。悲しみ憤る家族は弁護士を雇い、公正なる道理の返還を求めている。
援助の手を差し出して、殺人者の佳木斯強制労働矯正所訓練指導員、楊春明と警察の楊文兵を厳罰に処し、法に照らして制裁を加えるよう、法輪功迫害追及機構に願う。
殺人者の楊春明と楊文兵は必ず厳しい法律の制裁と天罰を受ける。
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