日本明慧


大法弟子の劉海波が長春市寛城区公安局の悪辣な警察官に虐殺されるまでの多くの事実

2003年3月31日

「明慧ネット」大法弟子の劉海波は男性、34歳、長春市緑園区病院CT室の医師であった。彼は1996年に法輪功を学び始めた。99年7・20以後、二度も北京へ上申に行った。「真、善、忍」を信仰し、信念をかえないため、非合法的に長春市葦子溝労働矯正所に監禁され、一年の労働矯正という懲罰を科された後、長春市奮進労働矯正所、その次に長春市朝陽溝労働矯正所に移された。労働矯正の期間中、劉海波は大法を学ぶ信念は依然として動くことなく、また、労働矯正所で積極的に大法を証明したため、何回も強制所の警官に殴られ酷刑され、さらに9ヶ月の懲役を追加された。

劉海波は労働矯正所を出た後、「法輪功はやらない」という保証書を書かなかったため、会社から停職処分を受け、給料の支払いも停止された。彼は法を正し、世の中の人に真相を伝えることに、多くのことをした。

2001年3月11日夜、長春市寛城区公安支局の7、8名の警官が劉海波の家に入り込み、劉海波と彼の妻ともう一人の法輪功学習を寛城区支局に拉致した。さらに、劉海波の家の何千人民元と一部財産を略奪した。長春市寛城支局では、悪辣な警官が、劉海波に非人間的な残虐きわまる暴行を加えた。何名かの警官が同時に電気棒で彼に電撃を加えながら、犯罪を認めさせようとし、また法輪功を放棄させようと彼を追い詰めた。劉海波は彼らに妥協せず、信仰をかえないため、翌朝の1時過ぎまでこの警官に暴行を加え続けられた。劉海波の心臓が停止したことに気づき、悪辣な警官はやっと暴行を中止した。劉氏は120救急センターへ送られたが、既に死亡していた。(時間は2002年3月12日)

この事件後、長春市寛城区支局は密やかに遺体を火葬し、しかもその情報を厳密に封鎖した。劉海波の家族は一年ぐらい彼を探したが、全然彼の情報は掴めなかった。寛城区支局が自分達の犯行を全く認めず、しかも、直接の殺人犯達の中の一人、霍という名前の悪辣な警官を元の部所から移動させた。劉海波の家族は冤罪をすすぐところもなかった。

中国大陸では、江氏の強制統治の下に、このような虐殺事件がどれほど起きているのか分からない。しかし、天理が存在し、善悪には報いがある。闇の中でも、神の目はまるで稲妻のようである。悪人を助けて悪事を働く、直接、法輪功を迫害しているこれらの下手人は絶対、天罰から逃れることは出来ない。