日本明慧


田舎の年配の大法学習者が拉致され迫害をうける

2003年3月28日

【明慧ネット】私は、63歳の農民である。法輪大法を修煉するため、私は2001年1月26日に地元の警察と町の婦人連合会主任、また村の治安主任らに北京に連れられた。派出所の所長は、私の懐にあった80間のお金を没収しそのまま取ってしまった。

その後、私はある市の拘留所に移転させられた。そこで、私はハンストを行い、不法監禁に抗議した。そこの所長と指導員は強引に私に食事を注ぎ込ました。彼らは、私の両手を後に回してから手錠をかけ、私の口をこじ開けさせた。あまりに乱暴にされたため、私の口は血だらけになってしまった。しばらくして、私を洗脳班に送られた。その間に、家族は非常に大きな圧力と打撃を受けていた。二人の子供が村の治安主任に脅かされ、弟も派出所に拉致された。派出所の者は、罰金を出させるために弟を派出所の窓に吊り上げ、15000元のお金を出さない限り、絶対釈放しないと言った。それで、従兄弟は午前中ずっと吊り上げられていたが、家族はそれほどの大金をすぐに調達できなかった。今度は、警察は弟に5000元の借用証書にサインしろと要求した。午後になっても警察が依然と弟を強引に取り立てた。弟の嫁(修煉者ではない)は我慢できなくなり、かっとなって農薬を一本購入して、それをもって派出所に入ってからに農薬を三口飲んだ。しかし、警察はそれを止めない代りに、「彼女は法輪功の学習者で、私が彼女に農薬を飲まないように勧めたが、彼女は一切聴いてくれないで、自殺を図った」と世人を騙した。弟嫁のお兄さんはこの情報を耳にして、彼女を至急に病院に運んだので、命が助かった。そのお兄さんは人民代表大会の代表であるので、この事件を明らかにすることができた。その後、警察は大きな圧力の元で、サイン済みの5000元の借用証書を返した。しかし翌日になると、警察らが我が家にやってきて、私の家を壊すと脅かした。しかも、瓦に一つの穴を開けたうえ、私に北京に行った時の交通費として4000元の借用証書にサインを強いられた。私は、同年の9月20日になってはじめて釈放された。

第二回、私は2000年12月19日に、北京に行ったためまた迫害された。派出所の者は私を懐柔県拘留所からある市の拘留所に送った。私は大法の修煉を放棄しなかったため、2001年4月16日に、麻薬矯正所に移転されられ、そこで11ヶ月間監禁された。2002年3月23日に釈放されるまで、私は麻薬常用者達によって常に私は体罰、踏み躙られをうけた。

第三回、2002年4月25日、私は釈放され家に帰った一ヶ月後に、町の政法書記と村の書記、また村の治安主任らがまた私を拉致し、拘留所内に設けられた洗脳班に入れた。私がハンストをもってその迫害を徹底的に否定したため、「610事務室」の頭や国家安全大隊の者は、棒で口をこじ開けると同時に、私の腹を猛烈に打った。このように、私は2003年1月5日になってようやく魔窟から離れた。そこで、29ヶ月も監禁されていた。