日本明慧


カナダ西洋人学習者: 奇跡が起きている

2003年香港法会にて

【明慧ネット】

李先生今日は。
香港の家族のような同修の皆さん今日は。
私は2001年に来てあなた方と一緒に煉功し、Lantau Islandを訪れました。
今再び貴重な時間をあなた方と共にしています。

新年好! 驚くべき変化の新年です! 奇跡が起きています!

長年トロントで法輪功の学習をしていた、年輩の同修が昨年末頃脳卒中を起こし、体が半身不随となり、疼痛に苦しんでいました。今年、旧勢力の按配を認めないようにという師父の言葉を聞き、痛む手を持ち上げて正念を発する姿勢をとり、「旧勢力の按配を認めない。私は旧勢力そのものを絶対認めることをしない。」と力強く宣言し、彼は突然病気が治ったのです。顔の麻痺がとれ、彼は笑い、話すことが出来ました。彼は心身共に再び力強くなりました。彼の笑顔は殆んど皺が無いほどで、赤ん坊の様でした。それは実に奇跡でした! 

先月、2003年1月、カナダのトロントで旧正月の祝いに、1700人の客を招き、法輪大法の映画や歌、ダンス、スピーチと御馳走のディナー・パーティをしました。凍るような寒い夜、空の倉庫がトロント学習者の一体となっての協力で、法輪大法のカラフルな美と平和に満ちた居心地の良い、暖かい場へと変貌するのを見るのは、奇跡を見るように驚くべきことでした。私達学習者が心から用意した多種の御馳走が、巨大な部屋の両側のテーブルに豪華に並べられているのを、様々な来客が各々の皿に盛りました。一部の人は法輪大法と以前殆んど接触が無く、疑い深い、問いたげな顔が緩んで笑みに変わり、音楽と歌を賞賛し、楽しい接待に笑い声が混じるのを見ました。それは大法粒子が一体となって成し遂げた、壮観な祝賀でした。そこに居た人は皆法の奇跡によって変貌しました。

西洋人同修が私にも一緒に歌うよう言いましたが、自宅で歌を練習する度に、私は泣かずにいられませんでした。涙が私の頬を滝のように流れました。歌詞が私の心を強く打ったのです。その歌は「あなたの為にやって来る」という題で、次のような歌詞です。「はるかな海を越えて、私はあなたの為に何度でもやって来ます。何故なら、貴重な中国人よ、私はあなたを愛しているからです。どうか私の心の声を聞いて下さい: 法輪大法は良いものです。法輪大法はすばらしいものです。世間で言われる流言を信じてはいけません。危険な暴力に面しても、私はあなたの為に何度でもやって来ます。私はやって来ます。何故なら、貴重な中国人よ、私はあなたを愛しているからです・・・」

その旧正月の夜、法の力と輝きが私を満たしました。同修が私に楽譜をくれ、私は何の思いも無く、何の判断も無く、彼女に続いて舞台に上がりました。献身的な大法弟子に囲まれ、私の声は彼らの声と一緒になり、私達の気持は全て聴衆に伝わりました。彼らが微笑み拍手する時、目に涙を浮かべている人がいるのが見えました。大法弟子が一緒になれば何でも出来る、力強さを感じました。

去年の1月の事を思い出します。その時も法の力と輝きが私を満たし、守ってくれたのです。私の前に「真善忍」の為に立ち上がった36人の西洋人と何千人もの中国人に続き、私も又法輪大法のバナーを胸に、あの巨大で偉大な天安門広場に足を踏み込んだのでした。大法弟子の威厳と平和をもって、私は「法輪大法好」を歌いました。そうすれば皆が真相を知るでしょうから。その日も私の声は歌劇の様によく響きました。その声は広場の隅々まで、そして天にまで谺しました。大覚者達が太陽の輝きを更に明るくし、全ての微小物質は空気を黄金に輝く喜びで満たしました。警察が私を捕え、一晩監視し、国へ送還しましたが、2月と3月と5月に、もっと多くの西洋人が中国へ行き、法輪大法の慈愛を伝え続けました。しかし彼らは私達の言うことを聞きませんでした! 迫害は止まりませんでした! それは益々酷くなり、更に多くの拷問による死亡が報道され、更に多くが誘拐され、更に多くの家族が残忍な命令により引き裂かれました。私の心は引き裂かれるようでした。私は中国で出逢った全ての中国人を気に入りました。この、一度は尊敬されたすばらしい国が、一人の男の嫉妬から起きた嫌悪によって欺かれてしまったことに、私は悲しく思いました。それは理解出来ないことでした。どうして善良と平和が残酷に攻撃されるのでしょうか?

2003年の春を通じ、私は邪悪が訪れた国々のうち、ロシアとラトビアとリテュアニアを訪れ、彼の企みの騒動と混乱を除去しようとしました。人々は私達に会い、法輪大法の真相を知り、喜びました。彼らは、この様な善良な人々に会うのを一生待っていたと言いました。迫害の継続が許されていることに、彼らは怒りを示しました。私達は法輪功の美と平和と慈愛を見せる為に、パレードをしました。私達の宵祭りの蝋燭の灯りが、中国の迫害で死亡した同修を記念する写真を照らしました。大法と縁ある人々と一緒に煉功しました。

8月になって、APECの例年の会議が10月に催されることを知りました。法輪功の慈愛と真相をメキシコで会議の前に、各国リーダー達に提出する機会がありました。私達はAPECが主義とする価値と道徳、つまり、「透明度」とは真のことであり、「相互の利益」とは善のことであり、「協力」とは忍を意味することを説明しました。これらのAPECの原則は、中国では1999年7月に江政権が個人的に法輪功の法則である「真善忍」を不法とした時、不法となりました。APECへの真相を伝える資料は、法輪功が如何に全ての中国人を救う栄誉と徳行をもたらす、中国のルネッサンスであるかを示す、経済論文をも含んでいました。APECのリーダー達が心から徳行を大切にし、中国のリーダー達が自分達の国全体を騙し、全世界騙すのを止めさせる助けになることを私は希望します。

これと同時に修煉者達のグループが次々とメキシコを訪問し、一般の人々に真相を伝え続けました。彼らは大法と煉功を学ぶのを待っていたかの様でした。皆が大法を支持し、私達と友達になりました。世界中から法輪功学習者達はやって来て、歓迎されました。恐れられていた嵐は、邪悪が到着した処だけに黒雲と雨があっただけで、害をもたらすこと無く過ぎ去りました。私達は平和に一体となって昼夜正念を発しました。会議の後、中国代表の車が空港へ向かって通り過ぎた時、私達三人は高速道路沿いに歩いていて、「法輪大法真善忍」と英語と中国語で書かれた黄色いバナーを振りました。車が見えなくなってからも、私達は砂漠の太陽の下を歩き続けました。私達の正念は高速道路の向うの同修のグループ全体の正念と一緒になりました。私達の正念が一体となった時、邪悪はどんなに早く通り過ぎても粉砕されてしまいました。曇った空が明るい青空に変わるのを見つめました。暑くて歩き続けられないと思うと、焼き付ける陽は涼しく感じました。お腹がすくと、道端に苺が置かれていました。喉が乾くと通り過ぎる車が止まり、見知らぬ人が水と祝福の言葉をくれました。高速道路を歩き終わるのに7時間かかり、到着した時は暗くなっていました。そこに早くから居て正念を発していた学習者達は居なくなっていました。私達三人は再び正念を発し、日没を見ながら一緒に「法輪大法好」を歌いました。翌日私を空港へ連れて行ってくれたタクシーの運転手は、そんなに長距離を歩くのは不可能なことだと言いました。大法弟子は本当に不可能な事が出来るのです。

私は今年63才です。コンピューターを習うには年を取りすぎていると感じました。始めてコンピューターのマウスを使った時、標示が消えてしまい、見つけることが出来ませんでした。マウスの使い方を習うのに、三ヶ月かかりました。大法家族が世界中に居るので、彼らと連絡を取りたく思いました。又同修の体験を読むようにという師父の言葉を信じました。今は毎日ウエブの記事をいくつか比較して、私の質問に対する答を見つけます。「50才」以上の私達の多くが、イーメールやファックスやインターネットを学んでいるのに気付きました。私達は脳も若返っています。

師父にしっかりと従い、大法修煉を堅固にし、私は法の勉強を更に多くしています。邪悪の妨害がありますが、私は努力し続けています。エネルギーが時に強すぎると感じることがありますが、私は煉功をも更に楽しんでいます。より多くの人に法輪大法について話すにつれ、私自身理解が深まることに気付きました。例えば、論語に書かれた、常人の認識を変えるという言葉は、以前私を困惑させましたが、ある日突然明白となりました。私の全ての思想は、人間的なものに根付いていることに気付きました: 自我、感情、心配、追求等。連鎖的な影響にも気付きました ─ 如何に自分の利を求めることが競争へと導き、嫉妬へと導き、自分を哀れに思う涙へと導く、等々。思想は物質であり、私が過去から抜け出せないような型を作り出す、ということにも気付きました。ある日、以前私がやっていた様に領事館の前で、他の人が演説しているのを見ました。私は悲しく思いました。それはまるで私の中の何かが死んでしまったようでした。私は死んでしまい、それがもう私ではない、ということが分かっていました。私は自分を違った目で見ました、保護したり、気にしたり、否定したりするほど重要でないかのように。師父が私を見守っていることに気付き、「滅」の言葉で純粋な一念を保つよう努力します。最近になって「一体となって昇華する」とは周天を開き、実際に私自身が一個のエネルギーの体になることを意味するのだという、思いを持ちました。そうすると私を囲む物質が私を昇華させてくれ、又「一個」となった他の人達に出逢います。そして私達は一緒になって、大きな大法の一体となるのです。本を読めば読むほどおもしろくなり、他のことは何もしたくありません。しかしもちろん師父はやるべきことをやるよう、私達を励まします。

以前私は邪悪が如何に邪悪であるか、認識できませんでした。師父が言いました。「毒というものは有毒であり、毒であるのを止めよと言ってもできないことです」(2002年フィラデルフィア法会における説法)。私は皆が大法の慈愛を理解し、邪悪なことを止めるよう望み続けてきました。現在私は善の意味を正しく理解しています。私の心は、大法を保護する慈悲で満たされています。師父のフィラデルフィアでの「魔法の言葉」: 「私は旧勢力の按配を認めない。私は旧勢力そのものを絶対に認めない」を繰り返す時、迫害はもう存在せず、無実な人を毒することはもう出来ません。自分をも他人をも害することは止めなければなりません。

振り返って見ると、私が訪れた全ての処から、中国をも含む世界中から、金色の輝きが見えます。私達が一体となって正念を発する時、宇宙の閃光が日に日により輝きを増し、より長く持続し、より遠くへ届き、より威力が増してきています。天地を揺るがし、正当を要求し、邪悪を終結します。これは真に奇跡です! 法輪大法学習者は佛法の光を宇宙中に輝かし、邪悪が隠れる暗闇はもう残っていません。

私はただ大法の一粒子であることは、分かっています。さしあたり、師父はご自分の衆生済度の一念の中に私がいることを許していますが、実は私も救済されるその衆生の一人だと言います。時に私は自分が、ほんの一つの微笑みであるだけの様に感じます。

有難う。

2003年4月4日