日本明慧


本覚が光輝くとき

文/大陸の大法弟子:同真

【明慧ネット】ちょうど法を得た時、師父が弟子たち一人ずつに法輪を植え付けて下さった。「法輪は宇宙のマクロからミクロに至る一切の物質の法の性質の体現であり、」(「精進要旨」)将来、私たちも自分で1つの法輪を修煉によって作り出すことができ、それも同じように一切の物質の法の性質の体現である。それは私たちが法に同化しているからである。私たちの本性は宇宙大法——真・善・忍にすでに完全に同化している。そして、未来は永遠に不滅になる。本当に、理は高ければ高いほど簡単になる。私は以前に認識したもの、いわゆる、根本から旧勢力を否定し、師父の要求に従って一切の執着心を捨てて、何も考えず、大法を修煉し続け、師父を助け法を正し、衆生を済度するなどすべての理はみんなお互いに繋がっていて、すなわち本性の一面で法を認識したものである。

遠い昔の歴史の前、私たちは師父が人間の世界で法を正すことを知り、師の前で「心を発して衆生を済度し、師を助け世間を行く」(「洪吟」)の大きな誓いを立てた。そして大窮から一歩一歩で降りてきた。私たちは1つ下の次元に落ちたとき、以前のすべてのことを知ることができなくなった。だから、その次元に着いたとき旧勢力と千索万緒の関係が出来てしまった。ひどいことに旧勢力と約束し、人間で法を正すときに約束した道に歩いてしまった人もいる。しかし、私たちはどの次元においても、その約束は私たちの最終の約束ではない。例え異なる次元の旧勢力と約束して、大法のため「命を失う」という約束をしていても、これは私たちが最初に師父のまえで立てた誓いではない。師父はすべての法力を尽くし私たちの当初の誓いを実現させて下さった。いかなる次元の約束もない。神は自分で決めた道に沿って必ず歩き続けると師父がおっしゃったことがある。わたしの理解では、神の思惟は彼らの本性から出たものであり、どの次元の邪魔にも惑わされない。私たちはひとりひとりの弟子たちとして皆自分の使命が法を正し、衆生を済度することを知っている。しかし、いつも発した念は異なる次元の旧勢力に邪魔される。例えば、ある人は映画を見に行くつもりなら、彼の目標は映画館のはずだ。もし途中でデパートに行ったり、劇を見たりしたら、映画館に着いたときはもう映画が終わってしまった。「心が劇の中の事に夢中になり、その中の事は奇妙で多彩である。」(経文「大舞台」)途中でどんなすばらしいプログラムに会っても自分の最初(最終)の目的を忘れてはいけない。法を正す過程の中で、歴史上においてどの次元の約束も最終の誓いではない。肝心なときは自分で決める。もし、ある大法弟子が邪悪の迫害を受けず、死ぬことがなければ、もっとたくさん法を正すことができ、たくさんの衆生を済度することができる。

私たちの法を正す過程における一切の正念正行は本性から出たものであり「わたしは皆さんに人為的に何かをしなさいと言っているのではなく、皆さんに法理を理解させているだけであって、この面での認識をはっきりしなければなりません。実は、大法は人を済度するだけでなく、各界の衆生に説くものでもあります。目覚めて悟った本性は、自ら如何に振舞うかを知っており、(「精進要旨」−「道法」)この法理を理解して、光輝く本性の一面で、法を正す過程の中で精進すれば、必ず私たちの最初の大きな誓いを達成し、済度されるべき全ての衆生を済度されられる。

これは個人の悟りであり、不当な所があれば、同修には慈悲でご指摘下さることを願っている。