日本明慧


少女は長期に拘禁され迫害を受けていて、退職金で生活を維持している家は
万元以上をゆすり取られている

2003年3月28日 文/大陸大法弟子

【明慧ネット】私は以前、病気のために学業を辞めざるを得ませんでした。16歳のとき(1998年)、私は法輪大法を修煉し始めました。それから、病気は完治され、すっかり元気になりました。99年7月、江氏集団は法輪大法の学習者に対していろいろな迫害をし始めました。そのため、私たちの町の町管理委員会と警察署の人がよく私の家に邪魔をしに来て、私たちに法輪功を止める保証書と大法を中傷する文書を書かせようとしました。それにより、私たちの正常な生活が深刻に影響されました。

2000年夏、私は自ら経験したことと政府に法輪大法の実情を伝えたくて、北京市の市民陳情管理事務局へ陳情に行きました。しかし、思いもよらず、私は当事務局に門前払いされたのです。その後、道で国家国民陳情管理事務局の住所を人に聞いたために、警察に強制的に北京市前門警察署に連行されました。私の住所と氏名が分った警察らは、私を地元の拘留所に入れ、拘禁しました。拘禁されている間、二人の男性の警察らは、私ともう一人の女性の大法弟子に対して、隠しているものが無いかと身体検査をして、さらに私たちのブラジャーを無理やりに脱がせると言う猥褻な行為をしました。その時、彼らは私から6百元の現金を見つけ出しました(また、わたしの服と本《転法輪》をも奪ったが、釈放された今でも、まだ私の手元に戻されていないです)。それから、私とその大法弟子はハンストで抗議したので、三日後に釈放されました。

しかし、釈放されてまもなく、町内にある警察署の警察らは「話をしたい」と言う理由で、私を騙して、ある一つの警備サービス会社に連行しました。そこは、「監視住居」というふうに言っているが、牢屋と全く区別がありませんでした。大法弟子に修煉を放棄させるという目的を果たすために、警察らは私たちに対して一日108元の食費を払わせています。もし、その食費を払わない場合、家族との面会が許可されなく、そこから出ることも出来ないと警察らはそう言いました(ここでの食事はひどいもので、一ヶ月分としても絶対に100元もしないだろうと思いますが)。私はそこで45日間もいました。そのため、家族は私のために、4860元を払いました。さらに、ぼろ布団のために、130元も払わないといけなかったのです。私がそこから出たら、警察らはまた、そのぼろ布団を使って、他の人からゆすりとるのではないかと思います。

2001年旧正月の前、町内管理委員会は、夜仕事から戻ってきた私を郊外にある洗脳クラスに連れて行って、順番に私を監視させたのです。そこの一人の職員さんが、彼の上司に私を家に戻らせるべきだと言ったら、上司が「もう一回言ったら、すぐ首にするぞ」と言われていました。そして、私の家族が絶えず洗脳クラスの人に私を早く解放するようにと強く求めたので、やっと私は大晦日の日に解放されたのです。洗脳クラスの人がよく私の家に邪魔しに来るから、私はやむを得ず流浪することにしました。

2001年夏、私は再び北京へ陳情に行きました。天安門広場で、私は「法輪大法がいい」と叫ぶと、すぐ私服の警察が私に飛び掛ってきました。彼らは後ろから私を蹴り倒して、殴りました。それでも、私は「法輪大法がいい」と言い続けたので、恐れた彼らは私の首を絞めたので私はその時ほとんど息ができなくなりました。その後すぐ、巡回の警察らが来ました。彼たちの一人は私の首を絞め続けて、もう一人は私の腕を引っ張って、広場の反対側に停めてあった車のほうへ引きずったのです。その時は夏の軽装だったので引きずられた私の両足は血が出て傷が出来ました。しかし、彼らはそれを全く無視しました。そして、彼らは、私の両手を縛って天安門警察署に連れて行き、小さい牢屋に入れたのです。
私が足を組んで正念を発そうとしているとき、一人の警察が突然入ってきて、罵りながら、私の足を蹴りました。その時、警察は四十代ぐらいの男性の大法弟子を連れてきました。その同修が自分の氏名と住所を言おうとしなかったので、警察らは隣の部屋に連れて行きました。そして、すぐ、私は隣の部屋から人を殴っている音を聞きました。その同修を再び見たとき、彼の口にはすでに血の痕が付いていました。

警察らは私の家の住所を聞こうとしました、もし私が言わなければ、言うまで人に私を殴らせると脅かしました。彼は私を地元政府の駐北京事務所に連れて行って、そこの風が全く通らない地下にある小室に入れました。私はそこで二日間のハンストをしたが、誰も聞いてくれなかったのです。さらに、彼らは地下で唯一のライトを消したのです。

私は、その後、地元の拘留所に入れられました。そして、法輪功を放棄しないために、また女子労働矯正所に送られたのです。その女子労働矯正所で、健康診断を受けました。その医者先生は私が法輪大法を修煉し始めてから、前の病気がなくなって健康になったことを知って、私を労働矯正所に入れることに反対してくれました。それで怒った警察らは私を警察署に連れ戻して、私を汚くて臭い匂いのする鉄のかごに入れました。しかも、トイレに行かせず、ご飯も食べさせてくれませんでした。何日かして、警察らは私を強制的に精神病院に連れて行きました。そこで、また私を入れるのを拒否されたので、私は別の労働矯正所に移られました。

私はその労働矯正所に入れられた日から、食事の時も含めて絶えずに五、六人の悪人に洗脳し続けられました。もし、それでも、法輪功を止めなかったら、警察は一人、或いは何人かの麻薬中毒者に24時間(もちろんトイレに行くときも)その大法弟子を監視するようにと命じるのです。夜、私たちはそこにいる犯人らが使っているベッドとベッドの間(ベッドの端)に縛られて寝るのです。また、私たちは家族との面会を許されないのです。さらに、昼間にはきつい肉体労働を課されるのです。ある同修はすでに言い渡された懲役を超えて、長く拘禁されてきたのですが、法輪功を放棄しないため、無期限に拘禁されているのです。

私がそこに拘禁されていたとき、警察らは私の家族に知らせもしなかったのです。私の七十歳のお祖母さんは、私の行方を知るために何回も警察署に行ったが、全部門前払いされたのです。

再び洗脳クラスに送られたのです。私の家族に私の行方を知ることが出来ないように、彼らは私を何度も移しました。 

洗脳クラスで、私たちは全く自由がありませんでした。毎日、彼らの作った様々な謬論を聞かされていました。また、彼らは私たちに人を罵るように迫ったのです。もし、そうしなければ、死刑を下された犯人らの牢屋に入れると脅しました。さらにひどいのは、彼らは無実の大法弟子の家族たちにも圧力をかけるのです。そのため、多くの常人も想像できないほどのストレスを受けています。

私の家族が私を救出するために、警察らに10,490元ぐらいゆすり取られてきました。母はすでに工場にレイオフされて、家はお祖母さんの退職金で生計を立てています。 ですから、これは、私の家族にとって本当に深刻な打撃です。

そして、警察らは家の電話を盗聴し、私を尾行して、私たちの正常な生活が失われ、人権も侵害されています。以上述べた事はすべて事実ですので、国際裁判所が公正な審判をするように望みます。