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河南省女子労働矯正所の残虐きわまる体刑 老若ともに吊り上げられ 両肩を縛られて容赦ない暴力で傷つけられ血だらけになった

2003年4月6日

【明慧ネット】私は河南省の大法弟子です.次に述べるのは1999年7月20日後、私が法輪大法を修煉し続けたため江氏集団によって迫害された情況です。

師父と大法の潔白を返してもらうために、私は2000年12月29日北京へ陳情に行きました。天安門広場で、早くからすでに待っていた警察に捕まえられて、平谷県の留置所に送られました。留置所にはたくさんの大法弟子が監禁されていて、全ての大法弟子は一人ずつに分離されており、名前と住所を教えない同修は全て警察に酷く殴られました。やや太っている警察は私を後手に縛り、私に腰をかがめさせ,立てられないように私の頭を押さえ、もう一人の警察が私の頬を打ちました。その後やや太っている警察は私の両手を後手に手錠をかけ、手錠をロープで縛りドアに吊るし上げたので手錠は私の手首に深く食い込みました。そのうち、隣の部屋からベルトや棒などで大法弟子を殴る音が聞こえ、迫害されている大法弟子の痛ましい叫び声が聞こえてきました。悪警察は自ら殴るだけではなく、他の囚人にも一緒に殴るようにと命令した。50歳ぐらいのおばあさんは、真善忍の信仰を放棄しないため、われわれと同じく後手に手錠をかけられドアに吊るされました。悪警察達は彼女の身体を揺らしたので、彼女は苦痛で顔を歪めました。

北京から鄭洲に送られてから、私は派出所と街の事務室の「洗脳班」に送られ、十数日経ってから家に戻されました。やがて,派出所はインタビューすると私を騙し、どんな法律的根拠もなしに、私を無理やり拉致して河南省女子労働矯正所に送った。そして不法に一年の労働矯正をやらされました。私が捕まえられた時、家には年寄りの両親と幼い子供しかいませんでしたが、お父さんはショックで精神的打撃に耐えられなくなり、間もなく死亡しました。

労働矯正所で私は囚人達に監禁され、他の大法弟子と話すことも禁止されました。毎日、私達大法弟子は警察に無理やり洗脳され(法輪大法を汚すビデオを見せられる)、無理やり作業場に連れて行かれ仕事をやらされたり、体操をさせられたり、歌を歌わされたりしました。歌わないと罰せられ、眠らせなくされます。多くの大法弟子は自分の信仰を堅持するために、迫害を制止し、絶食抗議を行いました。警察は囚人と一緒になって無理やりご飯を食べさせたり、殴ったり、罵ったりしました。大法弟子は歯をスプーンでこじ開けられて緩くなって血が出る人がいれば、口の中の肉が削られた人もいました。労働矯正所での迫害はますます酷くなっています。はじめの時は信仰を放棄しない大法弟子に刑期を延ばすだけでしたが、後になって、電気棒などを持って殴っています。2002年1月、私達は迫害を制止したため、六十歳以上の老人から十数歳の女の子まで、全て室外に連れ出され「上縄」(訳者注:刑罰の一種と思う)されました。脚が蹴られて真っ黒になった人がいれば,両肩を縄で縛られてめちゃめちゃ傷つけられて血だらけになった人もいました。私達は苦しめられて、腕を上げられなくなり、脚も満足に歩けなくなりました。このような重傷にも拘らず、警察に強制されて軍事教練や労働、体操などに参加しなければなりませんでした。もっと酷いのは、大法弟子が歌を歌わないとか体操をしなとか、更に大法を汚すビデオを見ないために目を閉じるととかすると拷問されました。労働矯正所で私達は精神的にも肉体的にも極度に損害を受けました。

「善悪には報いがある」は天理です。善良な人に暴力を振るった悪い人は必ず法律の裁判を受けるということを私は信じます。そこで、私は世のあらゆる正義の人々に、中国が現在行っている、法輪大法に対する血生臭い弾圧を止めさせるように呼びかけます。