日本明慧


交通事故のあとの出来事

2003年4月11日 文/大陸大法弟子

【明慧ネット】1996年8月14日、早朝6時ごろ、いつも通りに自転車で公園へ煉功に行く途中、T字交差点で、突然130型貨物自動車が猛スピートで目の前に現れ、逃げる間もなかった。車が目の前に来たことだけは覚えていたが、その後は何も分からなくなった。自動車にぶつかった音も聞こえないまま倒れた。

しばらくして意識が戻り、誰かに抱かれ、顔の傷口を押さえられ、叫び声が聞こえた。お兄さん、お兄さん、早く病院へ行こう。私は目を開けて、メガネが壊れて、自分はまだ車の中にいるの? 車のフロントガラスもまったくなくなり、頭は激しい頭痛を感じた。事故直前の様子を思い出したが、自分は法輪大法の修煉者だから、李先生の弟子だから、絶対何も問題がないはずだと確信した。相手の車の運転手さんは心配そうで、「早く病院へ行こう」と言った。私は行かなくて大丈夫と言った。

車から降りると、ガラスがいっぱい落ちていて、10メートルぐらい滑った後止まった跡が残っていた。事故の目撃者の話では、私はぶつかった後、4〜5メートルぐらいも上へあがり、川の堤へ投げられた。頭が車のフロントガラスにぶつかり、体全身が車にぶつかったそうである。

私は車の運転手さんにもう行ってもいいよと言った時、運転手さんは唖然とした表情だった。わたしは自転車に乗って、公園へ向かった。運転手の顔や、車のナンバーなどまったく覚えていない、覚える必要がないと思った。

公園へ着いたら、同じ法輪功の修煉者の家へ行って、塩水で傷口を洗って、初めて気づいたが、かなり酷い傷だった。頭部の後ろが腫れて、足も腫れていた。ほとんど歩けない状態だった。しかし午後5時ごろ、頭部の後ろの腫れたところは元に戻って、傷もだんだん治って、少し歩けるようになった。

事故の後、二日目から煉功し始め、左足の腫れたところは10日間くらい続いたが、薬を使わずに傷も思うより早く治ったことは、ほんとに大法から起きた奇跡の印だと感じた。私は大法から第二の人生を送られた。