日本明慧


時間への執着をも語る

【明慧ネット】ネットに時間の問題について同修が語っていた。今日、時間の問題に関して悟った自分の認識を述べてみよう。

1999年7月20日、江沢民政権が叱られても言い返さず、殴られても殴り返さない法輪功学習者への弾圧が始まってから、幾千幾万の罪の無い法輪功学習者は苦難に満ちた生活に陥った。私もそのうちの一人だった。当時捕まったときに、私はすべての希望を時間に託した——早く終わりましょう。

最初から、私は時間に執着していた。師父が春と言及したら、春になると法が正されることに執着するようになり、師父が秋と言ったら、私はすぐに秋に執着するようになった。秋になって、終わらなかったため、ちょっとがっかりした。師父が十年法を正すと言ったら、私はまた十年に執着するようになった。十年が経ってまだ終わらず、またがっかりした。師父の経文がこの執着について明確に教えてくれたとき、これは私のことを言っているのではないかとはじめて意識した。私はいつも表面上の佛法への理解に留まっており、理性的に佛法への理解にまで昇華していなかった。

佛の世界に時間はないと、師父は語ったが、私は何故三界の時間に制限されたのか?旧勢力があらゆる生命に時間を定めており、なぜなら旧勢力がすべてを支配したがるからである、大法弟子は主佛の弟子であり、すべては師父が決めている。師父が我々に最も速い修煉道を按配してくれている。時間への執着はほかでもなく、三界内の時間と旧勢力に支配されていることになる。全面的に旧勢力を否定して、時間の中から出て来ましょう。なぜなら我々の如何なる心も旧勢力に利用されうるからである。正真正銘の偉大な佛、道、神は時間に執着するのだろうか?だから、我々は現在の時間を大事にし、法を学び、煉功を堅持し、真相を伝えて世人を済度することをしっかりと行い、師父の法を正す過程についていくべきである。