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遼源労働矯正所の警察らの暴行:皮下出血斑が出来るほど鞭で打つ

2003年4月15日 文/中国大陸大法弟子

【明慧ネット】 私は今年五十二歳で、法輪功を習っているために不法に一年間の労働教養を言い渡されて、遼源労働教養所に送られました。その後、残酷な拷問を受けたために、法輪功を止めるという「保証書」を書かざるを得ませんでした。しかし、その一ヶ月後、私はその「保証書」を書くべきではなかったと気付き、前に書いた「保証書」を無効にすると言う声明文を出しました。それは、邪悪を怒らせ、彼らは私に拷問をしようとしました。

ある日の午前九時半頃、教養所の教育課の課長の孔XXは私と趙岩を教育課まで呼び、私が書いた「声明文」を読んでひどく腹を立てた彼は、私に対して、罵りながらまず手で殴り、そして足で強く蹴ったり踏んだりしました。そのような殴打は一時間以上続きました。当時、部屋にはもう一人の課長の候XXもいました。十一時前、その候XXは私と趙岩さんに帰れと言いました。しかし、午後一時に、私と趙さんは再び呼び出されました。その時部屋には、候XXと孔XX以外に、またもう一人の看守がいました。候XXが私たちを少し罵った後、孔XXは棒の形をした刑具を出して、それで狂ったように私の顔と頭を強く打ち、口から血がたくさん出ました。また、革靴をはいた彼は、私の体を力いっぱい蹴り、自分の膝を私の腹部に強くぶっつけ、肘で私の心臓あたりを打ちました。そのために、私は何回も気を失いました。彼は私を殴って疲れてベッドに入って寝るまで、止めることはありませんでした。私はその時、時計を見ました。三時十分前でした。

4月6日朝8時、趙さんが大隊管教室に連行され、その五分後、私もまたそこへ連行されました。そこには、隊長と看守全部で五、六人いました。趙さんは、体罰を受け片隅にしゃがみ込んでいました。隊長が私に下着以外全部脱いで、そして、立ったままで机の上にうつ伏せになれと命じました。彼の手は鞭を持っていました。彼は渾身の力をこめて私の背中を鞭で強く打ちました。五回目に鞭で打たれた直後、倒れました。鞭で打たれる毎に、すぐ皮下出血斑が出来ました。全部で十五回打たれました。本当に残酷を極めました。その中、一回首を鞭で打たれた後、すぐ気を失ってしまいました。

しかも、鞭で打たれてから、非常に小さい鉄の籠に閉じ込められました。そこで、毎日二回の食事しか与えられず、おかずもわずかのものでした。鞭の拷問を受けた三日後でも、私はうつ伏せに寝ることしか出来なかったのです。

ここで、邪悪な人にはっきり言います。遅かれ早かれ、善悪には報いがあるのです。覚えていてください。