日本明慧


偶然ではありません

2003年4月12日 文/百楽克

【明慧ネット】この前、「周易」から、この世の万物は互いに繋がっていると解りました。朝家を出て見た猫は、今日起こった大事件と繋がっているかもしれません。ただこの空間を迷わせているのですが、決して占い本の中に書いてあるような簡単な直線系ではありません。大法を学んでから、もっと理解出来るようになりました。修煉の道には偶然のことはありません。一切は私達の修煉と関連しています。惜しいことに私の感覚が鈍くて、周りの人や物事に非常に無頓着でしたが、長く修煉していると、段々と周囲と密接に繋がっていることが解かってきました。

例えば、この間、私のパソコンは突然壊れて、調べるとハードウエアが老化していました。新しいハードウエアと交換してソフトを入れ替えました。しかし、プリンターがなかなか接続出来ません。表示で「通信不能」と指示されました。内に向かって捜したところ、その時私は他の同修の公開手紙に対して、異なった意見を持っていました。本当は考えたくないのですが、この手紙を無かったことにしようとしたのが、このパソコンの件だと私には解かりました:相違があったら、逃げないこと、もっと交流すべきなのです。さもなければ、しこりを取り除くことは出来ないのです。それが解ってから、プリンターは接続出来ました。

家に帰ってから、スチーム(暖房)が壊れたことに気付きました。修理に来た人は、吸い上げポンプが老化して、新しいのと交換しなげればならないと言いました。再び「老化」という言葉を聞いた時、突然、先生が「北アメリカでの巡回説法」の中で、旧宇宙の老化と解体に直面して、「もし正法のスピードが宇宙の解体のスピードに追いつけなければ、全ては終わりだ」と言われているのを思い出しました。内に向かって捜し、そして最近の状態を反省し、時間のかかる仕事をやっているため、自分の気付かないうちに、だらけた気持ちが生じていました。正法の修煉はゆっくりしていこうと思い、精進を緩めてしまって、「時間を無駄にしないで、早く真相を伝える」という先生の教えも忘れていました。

こういうことは周りにはまだ沢山あります。これらは私達が注意しなければならない重要点ではないけれども、真剣に法の上で、内に向かって捜し自分の不足の点に気付くことが大切だと思います。言い換えれば、修煉はそんなに奥深いものです。周りの一切は生きていて、私達の修煉と緊密な関係にあります。

個人の悟りなので、間違っている点がありましたら、御指摘お願いします。