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<新型肺炎>SARSから典型的な虚言を透視する

【明慧ネット】2003年4月3日午後、中国国務院マスコミオフィスが記者会見を開き、当時の厚生大臣・張文康氏が中国のSARS疫病の実情を紹介した。記者会見は彼の“北京は安全であり、疫病実情は有効的にコントロールされている”という功労祝賀会として開かれた。北京で少なくとも数百件の感染例の真実が彼によって12人の感染、3人の死亡と軽く述べられたとき、彼のその後の引責辞職は既に決まっていた。

より多くの大陸の医者が外界に疫病の実情を漏らすに連れて、世界保健機関(WHO)はますます中国政府の提供した数字の正確性を疑うようになり、さらに多くの病院、特に軍隊病院への調査を中国政府に要請した。

内幕はここから引き裂かれた。

4月20日、国務院マスコミオフィスが再び記者会見を開き、北京の感染者数は連日の37人から一気に339人にまで上り、死亡者数も従来の4人から18人にまで昇った。

この数字ゲームは中国政治の大地震を引き起こした。元厚生大臣である張文康氏と着任3ヶ月未満の北京市長・孟学農氏は職務を免除された。

中国当局はいかにこの数字の変化の原因を解釈したとしても、もし世界保健機関(WHO)からの強大な圧力がなければ、もしWHOが香港と中国に行かないようにという勧告を世界に出さなければ、もし多くの政府と組織が中国で予定されたイベントを取り消さなければ、もし外国資本で支えている中国経済がより多くの外国資本の移転に直面しなければ、中国政府は恐らくずっとこの数字ゲームを遊び続けて行くだろう。たとえこのようにしたとしても、外界は依然として中国政府の公布した数字の信憑性を疑っている。子どもによく教えた「狼がきたよ」という物語が、まさか80歳の共産党に的中するとは思わなかっただろう。

中国人は数字が好きである。50年代の衛星大生産や鋼鉄大量製造において、すべて故意に言い放っている。なぜなら各地が比較していたのは数字だからだ。89年天安門事件の死亡者において、故意に過少して言う。甚だしきに至っては死亡者が0という言ったこともあったが、なぜ抑えられるかといえば数字だからだ。中国の経済成長率は、国際情勢がどのように変化してもずっと7%〜8%に保たれており、安定させるのは依然として数字である。99年7月20日、江沢民が引き起こした法輪功への弾圧の口実は、法輪功によって1400人が死亡したと言ったことによる。欺瞞に使ったのはまた数字である。

数字は、中国共産党の手によって思い通りになり、大きいと思えば大きくなり、小さいと思えば小さくなり、都合のよい数字があると思えばあるようになり、都合の悪い数字はないと思えばなくなる。とにかく、すべては政治需要に応じて生まれたものである。

しかし、数字をもてあそぶのは往々にして政治人物であり、科学常識が足りず、編み出した数字は常に推し量ることはできない。

1ムー当たりの収穫量が5000キロ以上だというのは、これは専門家や農民にとって、全くの笑い話である。六四天安門事件に、外国の衛星が上空に回っており、事件の全過程が一望の中に収められており、誰かを騙せるだろうか? 4月20日以前、香港が厳密な措置をとったのに、そのSARSの感染者と死亡者は、両方とも防犯措置のない大陸より高いという。これは可能だろうか? 法輪功を陥れた1400死亡例は全国政治任務として無理やりの“掘り起こし”であり、その真実性は一体どのぐらいあるのだろうか? しかし、弾圧を決定した者にとって、この数字は法輪功に罪を言い渡すにはもう十分であり、確かに多くの国民がこれを信じた。不幸なのは、弾圧者自身が人間はもともと死ぬことがありえることを忘れたことである。統計学専門家は自然死亡率から推計すると、中国政府が公布した200万の学習者で計算するとして、92年から99年までの7年間で法輪功の死亡率1400/200/7=一万分の一であり、一万分の六十五という中国の正常の死亡率より遥かに低い。法輪功学習者はほとんど体の弱い病人と老人(この集団の死亡率は他の集団より遥かに高い)であることは言うまでもないだろう。これは当初この数字を作りあげた人が思いもつかなかったことである。

過去に中国政府は数字を作ったとき、国内でもてあそび思う存分に捏造する。今度のSARSが国際化され、中国政府の数字をもてあそぶ手段は国際社会に暴露されるようになり、狼狽している。他の事件においても同様に欺瞞の手段がよく利用されることが、より多くの人々に分かったであろう。