四川省の少女学習者が語る〜わたしは16歳から17歳になるまで不法監禁されました
2003年4月13日
【明慧ネット】本文は四川省の17歳の学習者が、人々に真相を伝えたために受けた、残酷な迫害の事実である。彼女は断食による抗議を行ったが、注食(無理やり飲食物を流し込まれること)された。その後誤ってビルから転落し、大けがをしたにもかかわらず、解放されることもなく虐待され続けた。
私は14歳と15歳の時、北京へ請願及び真相を伝えに行きました。その後、学校へ行くことができなくなり、流浪の生活をするようになりました(母も学習者で迫害され、今は義父が家を占有しています)。
2002年3月末、真相関する資料を配ったことで監禁されました。4月の初め、警察は私を地元に連れ戻しました。そして、家に帰りましたが、家族からも厳しく監視され、外出すれば警察に監視されていて、このようにして修煉を放棄させようとしました。このままではだめになると思い、修煉者と一緒になりたいと考え、5月の初め、再び家を離れ、正法の流の中に入りました。しかし、2002年8月下旬再度不法に監禁されました。この不法に監禁された5ヶ月というものは、とても長く、この間に受けた虐待の数々は、筆舌に尽くしがたいものでした。
私は、この魔の巣窟のような所から、一刻も早く飛び出したいという気持ちでした。そこで、断食を始めました。すると警察は、受刑者に指図して、私に1日4回注食させました。それは何日も続き、顔は逆三角形状に変形し、口の中は破れぼろぼろになりました。そのため、流し込むこともできないような状態となっていましたが、8月26日の朝、再び注食され、その苦しみは11時頃まで続きました。
ある時、警察の事務所へ呼ばれ、一連の問題について質問されましたが、大法を迫害する理由付けにしようと企んでいたようです。私が少女であるから、突破しやすいと思ったのでしょう。ところが、私が名前を教えなかったので、無期監禁すると恫喝しました。
そして、名前さえ言えば解放してやると言って、私を騙しにかかりました。
私は少し人の心が動き、名前を言う代わりに、家族と直接連絡を取りたいと答えました。
すると、警察は、警官は職務中に携帯電話を所持してはいけないとか、携帯電話は一ヶ所に保管されているとか、事務所には電話を設置するのが許されない等と口実を言いました。
その時、一人の50歳位の学習者が強制注食されに行くところが目に入りました。
それは、鼻から注食されるということでした。私は、恐怖を感じ、迫害に耐え難くなり、名前と親の携帯電話の番号を教えてしまいました。
言ったとたんに、電話が鳴りましたが、それは同僚の警官への呼び出しでした。
私は騙されたことに気付き、また再び迫害されたくないと思い窓から飛び出しました。(決して自殺を試みたわけではないのです。看守所はまるで迷路のようになっており、さらにメガネを掛けていなかったために、何階にいるのか分からなかったのです。またその時は、迫害を取り除きたいという気持ちが、とても強かったのです)地面に落ちる直前、頭はとても冷静で、一瞬地面に私とそっくりの人が横になっているのが見えました。このごく短い一瞬で、私の自我は戻り、戻ってから体に劇痛を感じました。心の中で会話をしました“師父、私は死ぬわけにはいきません。まだ使命を果していませんから…”そして“生死に対する執着なく 堂々と法を正す道を歩む”(《正しい念正しい行い》)を暗唱しました。
手足は、みな動かせるようような感じがしました。しかし、どうしても言葉には言えない痛みがありました。数人の人が駆けつけてきて、まだ息があるのかどうかを確認しました。ある幹部が“医務大隊に送ろう”と言うと“いや早速病院へ送りましょう”ともう一人が言いました。病院へ運ばれ検査を受けましたが、どこに傷害があるのか直ぐには分かりませんでした。一人の婦人警官が、“注射をすればいいわ。昏倒しただけだから、すぐに連れて行きます”と言うと、医師は“それは駄目です。もう一度検査をしなければ分かりません”と言いました。その時、私の脊椎の位置がずれてしまっていたことが見つかりました。これは“骨一、骨二(医学専門用語)それも神経性の骨折です”と医師は言いました。病院のベッドに横たわると、すぐさま死刑囚に使う手錠と足かせを掛けられました。私は点滴を受けることを拒否しました。しかし、警察は、武装警察、民間警察隊員、また看護士を指図し、私を押し付け、点滴したり、四肢に錠を掛けたり、縛ったりしました。そして、医師の注射を受けました。注射されると、意識が薄れていきました。
毎日この様に、迫害されました。食事を取らなければ、死ぬまでずっと点滴すると言われました(私の隣のベッドには、まだ14歳の学習者がいて、断食をしていましたが、点滴をされ続け、10月17日迫害により死亡しました)。この50日余りの断食の中、私は虐待され続けました。この様に長い間食事を取りませんでしたが、20日経ってからは、自力でベッドから下りて、トイレに行くことがでるようになり、医師は尿管を取り外しました。しかし、数日も経たない内に、また点滴しようとしました。50日間に3回もこの様なことがありました。10月15日私はご飯を食べました。その後10月21日に、再び看守所へ戻されました。1月末になってやっと解放されましたが、それも義父が“未成年の子供に、こんな酷い虐待を加えるのか!正月前に釈放しなければ裁判にかける!”と言ったためでした。これら警察の邪悪なことが、いかなるものであるのかお分かり頂けたと思います。後日聞いた話ですが、私が病院にいた時に、警察はすでに私が未成年であることを知っていたそうです。にもかかわらず、16歳から17歳になるまで監禁した後やっと解放したのです。
|