日本明慧


北京に駐在していたアメリカ人記者が、自分のスリリングな取材経験を明かした


【明慧ネット4月17日付】大紀元4月18日の報道によると、ボルチモア太陽報の北京駐在記者であるFrank Langfitt氏は今年度Nieman基金の受賞者として、ハーバード大学のJohn King Fairbank研究所に招かれ、“中国からの報道”と題して、1997年から2002年までの5年半、北京駐在記者として自らのスリリングな経験を披露した。

中国での報道は記者にとって挑戦的なことである

Frank Langfitt氏によれば、中国で報道することは彼を含め、あらゆる外国記者にとって挑戦的なものである。なぜなら、中国の政策は非常に不透明だからである。また、一部の敏感な話題はいつも騒擾される。最初に中国に来た頃は路頭に迷ってしまい、他の記者と同様に外交人員のマンションに住まなければならなかった。彼らの部屋や電話は盗聴されている。敏感な事件が発生した時、或いは六四事件のような敏感な日の前後数日間は、彼らはいつも尾行される。彼らに情報を提供した人は恐喝され、甚だしきに至っては監禁される。

また、外交部の人を助手と雇わなければならず、しかもこれらの助手は仕事に適任ではないだけでなく、記者の行動への監視役を担っており、常に外交部に報告する。法律によって、外交部の許可がなければ勝手に北京から離れてはいけないという。たとえ許可を得ても、外交部の人の立会いの下で取材を行わなければならない。Frank氏は、彼のあらゆる要求が拒否され、甚だしきに至っては環境問題も国家機密として取材を拒んだと苦笑していた。もし、その規定に従うと、一家を支えるこの記者のポストを維持するのは非常に困難である。

西洋人記者がニュースを報道する経歴

彼が2001年4月に書いた報道がボルチモア太陽報の第一面に掲載された。大体の内容は以下のようである。
江西省のある村に、高額な税金によって農民と当地政府との間に衝突が発生した。結局、軍隊が介入し、しかも2人の農民を撃ち殺し、17人がけがをしたと言う。Frank氏は事件に関する情報を一本の電話から得た。電話の相手は事件の過程と結果を詳しく教えてくれた。その後、Frank氏は当地の数人の農民に電話をかけて事件の発生過程を確認した。中国において、迅速に報道を書くためには現場から一歩下がる必要がある。つまり現場に駆けつけると、何の情報も得られなくなる。なぜなら、情報が漏れないように警察は既に村を取り囲んでいたからである。電話と携帯は警察の警戒線を越え、詳細な内容を得た。通報した人はインターネットで当該新聞紙の北京駐在員の電話番号を知ったという。

一方、ニューヨークタイムズの記者は自ら江西省まで駆けつけたが、何の情報も得られず、かえって監禁された。数日後、通報者の電話が盗聴され、しかも通報者本人も捕まった。Frank氏は自ら江西省に行くことにした。当地の空港に着いた時、十数人の外交部の人員が彼を待ちかまえていた。二時間の訊問を受けて、どうしても彼の口から情報を漏らした者を聞き出せなかったため、彼を北京に戻る飛行機に乗せた。
翌日、外交部の記者会見でスポークスマンは、当該事件に関して一言も言及しなかった。彼が質疑したとき、まさかとは思ったがスポークスマンはこの事件を全く知らなかったのである。当日の午後、同氏は外交部からの恐喝電話を受け、今度このような文章を再び書けば酷い目にあわせると警告された。

政府による正式な発表がなかったため、あきらめられないFrank氏は高層の友人に電話をかけた。その友人は情報を聞いて驚いた。しかも、事件の真相を徹底的に調査すると言った。数日後、友人が電話をかけてきて、警察の数人の当事者が職務を免除されたと教えてくれた。Frank氏はこの情報によって、中国共産党政権内における異なる態度とその複雑さを感じた。ともかく、なんと言っても正直な官員がいることにはほっとする。

北京の記者としての興奮と悩み

彼が北京に駐在していた間、最も興奮したのは村に入って親身に取材を行うことである。彼の西洋系の顔は非常に目立つため危険を伴う。往々にして村には数時間しかいることができず、一戸の取材を終えたら、裏の扉からこっそり出て行き、もう一戸に入る。一戸への取材は45分を超えてはならず、なぜなら、遅かれ早かれ警察が彼の行方を知り、捕まえに来るからである。

最も中国側を怒らせるのは、彼がこれらの村に行ったのは知っているが、どうやって行ったかを知らないということである。Frank氏は、敏感な問題について取材を行うとき、携帯の電源を切らなければならないと言った。彼の数人の同僚が電源を切ることを忘れたため、居所が見つかり捕まったことがあるからだ。

Frank氏は、「中国で頭の良い人は皆大手会社に入った。国家安全部門の人は金がないため、仕事をするときに一生懸命するわけがない。私は彼らより少し努力すれば、彼らに勝つことができる。例えば、携帯電話は、私は絶えず電話カードを変える。北京以外の地区で取材するとき、毎日ホテルを変え、遅くチェックインし、朝早くチェックアウトをよくしていた。この時間帯は勤務時間ではないので、通報しようとしても誰にも通報することができないからである。

暗黒を暴き出すのはよいことである

司会者のMerle教授は、法輪功への取材についてFrank氏に聞いた。Frank氏は、法輪功について取材している時に遭った困惑が最も多いと言った。他の記者と同様に常に天安門広場で捕まり、特に抗議が頻繁に行なわれる数日間は数名の記者が記者証を剥奪され、これは今までなかったことである。また、我々はいつも公安に尾行され、甚だしきに至っては子供を学校に送るときにも尾行される。ある記者は仕事ができなくなり、やむを得ず休暇を取らなければならなくなった。

講演会に同席していた専門家は、中国の経済改革は絶えず進んでいるが、政治体制改革は停滞しており、インターネットが発達するにつれ、政府が情報伝播を制限するのはますます困難となる。例えば、エイズやSARSなどの疫病実情は隠そうとしても隠せないと指摘した。Frank氏は、中国政府が国際社会に重視されたい一方で、絶えず外国人記者を捕まえ、国外追放にするやり方は国際社会に受け入れられないと表した。

Frank氏は、「現在興味があるのはかつて取材したことのある村に戻って、もう一度最後に取材を行いたい。例えば、江西省小学校花火爆発事件、そこはまだ花火を作っているか? 学校は建て直されたか? 当時の学生は今どこにいるのか? 何をやっているのかなどである。ところが、これらの村に入るのはもう容易なことではなく、恐らくこれも当該事件に関連する情報が報道されていなかった原因ではないか」と感慨深く語った。最後にFrank氏は、「私の中国語はそれほど上手ではない。にもかかわらず、中国人はまだ私にいろいろな情報を教えたがっている。彼らは暗黒を暴き出すのが良いことだと思っているからだろう」と言った。