日本明慧


全体協調と大局について


2003年4月27日 文/アメリカの大法弟子 

【明慧网4月27日情報】長い間皆が全体協調について議論していた。だが、これは多くの場合は自分の担当項目、或いは自分の意見を他人に分担してもらったり、賛同してもらいたい時に、自分の都合に合わせてくれるように、他人を説得する理由として使われている。私はこれに気づいてから、最近の法を学ぶ時、以前よりすっきり分かるようになった。この体験を書き出して、皆さんに参考にしてもらいたい。

一、全体協調は多方面、多次元のことである 

全体協調は法を正すことに要求されたことで、人の固定観念に限定されるべきではない。全体協調は皆が同じことをやることではなく、同じ事に同じ認識を持つことでもない。例えば、江沢民を起訴することに関して全世界大法弟子の協力が必要な時、法理に基づいて共感認識ができることは全体協調の表現であり、全力で弁護士の起訴に関する法律の仕事を支持することも全体協調の表現である。力を合わせて正念で邪魔と干渉を取り除くことも全体協調の表現である。各自がさまざまな角度から全面的に真相を説明し、世人の支持と理解を得られることも全体協調の表現である。しかも、各部分も同じように重要であり、不可欠である。

即ち、全体協調は全世界及び局部地域の全局に関わること、或いは大事な項目に関わる時の全体的な協調や協力だけではない。法を正す全局に関する各方面の仕事を如何に個人の立場で積極的に分担して、全面的に、持続的にやっていくことも含めている。

二、全体の中の各部分、各方面が相互支援と相互円融すれば、始めて全体協調が形成できる。相互競争、相互対立すれば、全体協調は打ち消される。

99年7・20以後、迫害が始まったばかりの時、海外の学習者は積極的に法を護り、真相を説明することに参加していた。当時、何をすべきか、どうすべきかに関して、考え方はまだ非常に狭かった。長い間にパレードや、チラシを配るなど限られたことしかしていなかった。その時、活動があれば、皆が積極的に参加していた。あっという間に4年過ぎて、我々は自分のインターネットサイト、新聞、テレビ放送、ラジオ放送、及び各種の真相説明グループを持つようになった。大陸、海外、一般市民、政府、NGO組織などを対象にさまざまな真相説明活動をしている。だが、これらの活動は、殆ど個人的に、余暇の時間を利用してやっている状況である。如何に限られた人力、物力を有効に利用して、法を正すことに必要な各方面の仕事をいかに全面的に完成できるようにするかは考えるべき課題である。

規模や場面が大きな活動は確かに学習者を励ます力があるし、また表に出られない学習者に対してはもう一歩踏み出すチャンスを与えることができる。だが、大規模な活動を行う時、他の項目や大局を配慮する必要があり、これも全体協調の中に欠かせないことである。そうでなければ、自分が担当していることや、ある地域のことのために過剰に皆の協力を要請すれば、他の地域やグループの仕事に不利な影響を与える可能性がある。そうしたら、全体の間に隔たりができて、全体協調と大局に損失をもたらすかもしれない。若し、各グループは最少の人数で最大の力を発揮し、各自にやっていることが如何に大局を補完するようにすれば、自然に各項目が順調に進むことができる。特に、すでに問題を感じているところ、或いは今まで実行する余裕がないところ、及びより全面的に、より深く真相説明が必要としているところを、全体協調で互いに補完できれば、法を正すことに関する各項目は、必ず全面的に推進できる。これこそ全体協調の力の現れである。

三、全体の中の各粒子がより無私、無我にできれば、全体協調の力がより強く発揮できる

常人は何をしても、世間の名利情を求めるためである。大法弟子はまったく違い、世間の名利情を求めない。大法のことをやる時、個人の名利を求めたり、自我の存在を強調したりすべきではない。このようにできれば、全体協調は益々良くなるはずである。これは師父が『2003年旧正月十五日米国西部法会での法の解説』の中に要求したことでもある。我々もより良くできるべきである。我々は修煉を離れて仕事をしているわけではなく、且つ、新宇宙の基準は極めて純正であり、師父が我々に歴史上今までない大円満を達することを要求しており、我々は最大限に法の中に溶け込み、自分を純正にすべきである。だが、全体協調が個人の意志や個人の執着を放任するために利用されたら、それは意識的にしたかどうかに拘らず、全体に損失、損害をもたらす事になりかねない。それで、一人一人に、特に協調を呼びかける人や責任者は必ずよく法を学び、厳しく自分を律しなければいけない。これは全体協調に対してとても重要なことである。

四、大法の要求及び世人の済度を大局として問題を考えたり、処理したりすることができれば、より全体協調を保持しやすい

全宇宙に法を正すことは大局であり、大法弟子が世間で世人に真相を説明することは全地球での大局である。中国大陸は大局の中の中心である。具体的に各項目の仕事の中にまたそれなりの大局がある。且つ、各大局の中にまた軽重緩急があり、各段階の軽重緩急はまた常に変化している。だが、どの局面においても、どの項目の仕事でも、どの段階であっても、我々は必ず師父が法を正していることを第一位として対応し、各具体の仕事の中に世人を済度する効果を重要視しなければいけない。各項目の一時的な結果を最終的な目的と看做してはいけない。そうでなければ、よく見られる過ちを繰り返し起こすばかりか、自分が大法弟子としての知恵と能力も発揮しにくくなる。

大法弟子は常人のものを求めない。我々はネットサイトや、新聞、テレビ放送などあらゆる仕事をする時、如何に有名になるためではなく、常人の事業として成功するためでもない。だが、我々の心が人を済度するために努力し、無私無我に真相説明のあらゆる仕事に心を尽くせば、我々がやったことは必ず素晴らしい効果が得られる。ちょうど師父が言われたように、大学に進学するための学習に執着するより、むしろ良い学習のために学べば、自然に大学に合格しやすい。

五、全体協調は常人の組織や上下関係ではない 

大法弟子の全体協調は、大法に対する理解と正念に基づくことであり、本心からのことで、“大法弟子の円融”( 『2003年旧正月十五日米国西部法会での法の解説』)である。常人のような行政命令と上下関係によってできたことではない。それで、どの段階の協調であっても、法を離れてはいけない。よく法を学び、法の要求に従って努力することによってできたことは、我々の相互協調の根本である。