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撫順市大法弟子の仲紅喜氏が迫害され死亡し 数名の家族が不法に労働教養の判決を受けた

【明慧ネット5月3日付】仲紅喜氏、男、48歳、撫順市戈布村に住んでいた、法輪大法を堅く修煉したため、2001年12月に不法に労働教養2年(人民政府が下す行政罰)の判決を受け、撫順市教養院(呉家堡)で迫害を受け尽くした。14ヶ月後、死にそうになるまで踏みにじられ、労働教養所の警察は責任を負うことを恐れて始め、2003年3月26日に彼を釈放したが、2003年4月12日に仲紅喜氏は亡くなった。 

仲紅喜氏は98年に法を得て、家族が五人おり、娘が二人、息子が一人居た。長女は既に結婚しており、家族の全員が娘と婿も含めて皆法輪功を修煉し、利益を多く得た。99年に仲紅喜氏の一家は大法を実証しに上京したので、四人が労働教養(人民政府が下す行政罰)されたり、拘留されたりした。十歳の息子は世話をする人が居なくなった。2001年に釈放されても、現地の公安は戸籍がないという口実で彼の一家に地元に住むことを許さなかった。仕方ないため、彼の一家は撫順に引越しして、親戚からお金を貸してもらい、小さい売店をやり始めた。 

大法を実証するために、2001年12月に仲紅喜氏の次女は恋人と一緒にまた陳情しに上京したが、それぞれに不法に8年と11年の刑の判決を下され、瀋陽の大北監獄に入れられた。長女の夫も9年の刑の判決を受けた。次女が北京に行ったので、新村警察所の警察及び町内委員会の不法人員が邪魔しに来て、12月24日の当日は仲紅喜氏妻を教養院に入れた。警察は仲紅喜氏にお金を強要したが、彼はあげなかった。「貴方たちは何の理由もなく人を拘留し、どうしてお金を強要するのか?」と質問した。26日に警察はもう一度仲紅喜氏を呉家堡教養院に入れ、売店と妻の妹の家のものを全部取り上げ、お金は一銭も残さず、ドアも封鎖された。12歳の子供の世話をする人がいなくなった。その後妻の妹は警察に「私は修煉してないのに、どうして私の家を捜査するのか?」と聞いたが、警察は恥知らずにも「貴方の姉のせいだ」 と言った。

仲紅喜氏は不法に2年間の労働教養された。不法に労働教養されるうちに、看守は彼に信仰を放棄するよう強迫した。死にそうまで踏みにじられ、労働教養所の警察は責任を負うことを恐れて始めて2003年3月26日に彼を釈放したが、家はもう空っぽになっていて、病気を治す能力はなくなっていた。とうとう2003年4月12日に死亡した。彼の両親はもう80代で、息子は12歳だけだった。