日本明慧


省級の模範,市級の 三好学生で“中国少年報”の子供記者が小学校を卒業した後学業を中断された

2003年4月23日 文/大陸大法弟子

【明慧ネット4月23日付】私は1987年1月20日に生まれましたが、現在はさすらって身を落ち着ける所がなくなりました。

1999年7月20日大法が迫害されてから、私は両親と一緒に北京へ二回陳情に行ったことがありますが、陳情の過程において、警察に殴られたり、口汚く罵られたり、恐喝されたり、ゆすられたりしました。そのほかにも、不法に監禁されたり、写真を撮られたり、拷問によって犯罪を認めさせられたり、手錠をかけられたりしました。家に帰ってからは、学校長、教師、各級の教育局から人がやって来て「面接」させられ、いわゆる「保証書」を書くよう攻められました。私は書かなかったため、「大隊長、省級の模範、市級の“3好学生”(訳者:徳育,知育,体育ともに立派な学生)、「中国少年報」の子供記者等全ての栄誉を剥奪され、さらに将来の選挙権まで取られ、そして学校中に知らされて批判され、「少年先鋒隊員」の称号まで奪われました。

祝日(10.1,5.1など)になると教師は毎日朝晩1度ずつ電話をかけてきました。旅行や散歩なども禁止されていました。更に納得出来ないのは、1999年「10.1」(国慶節)期間中に、派出所と学校は相談して、私を学校で不法に十数日監禁しました。そこで、教師と校長は順番に「思想教育」をし、私の両親が住んでいる所を教えるよう強要しました。彼らの行為により私は精神的に大きな障害を受けました。クラスメート達は不思議そうな目で私に接していました。時には授業中に先生に呼ばれて行き、「教育局の上司があなたと面接するので、黙って聞いていなさい。言い返してはいけません」と言われたことがあります。もし、私が自分の意見を言えば、「頑固で何度教えても改めないので、もう一回「思想教育」をするはずだ」と言いました。このような生活は私が小学校を卒業するまでずっと続いていました。
進学する時、私は幾つかの学校を訪問しましたが、みんな私が大法を修煉しているため、受け入れられませんでした。「成績がいかに良くても、受け入れません。これは政治上の問題にかかわっていますから。」と言われました。ある学校は、入学金まで支払いましたが、学校の方から私の学籍を取るために元の学校に行って見ると、資料に「法輪大法を修錬し、数回も北京に行って陳情し、教えても改めない」と書いてあるのを見て、お金を戻されました。「あなたが煉功しないと保証書を書けば、あなたを受け入れるかどうか考えて見ます」と言われました。

最後に、私は家の近くの中学校に割り当てられたという知らせを受けました。入学手続きをするために学校へ行くと、校長は「忙しいので、後でもう一度来てください」と。再び行くと、校長は:「うちの学校は法輪功を断っているので、あなたを受け入れません。これは上級(市教育局)からの話です。私も仕方がありません。」と言われました。間もなく学校が始まるため、私は中学校に行き、「私は割り当てられたので、あなた達は断る権利はありません。しかも、9年の義務教育は受けなければなりません。あなた達は私が教育を受けるのを阻止する資格はありません。」と私は言いました。彼等は理不尽にも「煉功しないと書き、北京に行かないと保証書を書き、過ちを悔い改めると書けば、あなたの思想情況を見て、悪ければあなたを転化させます。書かなければ、毎日来ても私達は仕方がありません。今からあなたが来れば転化させます。」と言いました。私は「保証書」は書かず、4,5回中学校に行き、手紙も書き、電話もしましたが、彼等は全く無関心でした。

私はこのようにして丸一年間「家」で休みました。両親は不法に労働教養させられたため、家があっても帰ることは出来ず、他人のお世話で生活しました。新学期が始まった時、私はある中学校に入りましたが、二ヶ月未満で、私が法輪大法を修錬していることが学籍からわかったので、彼等はあらゆる口実で私を追い出しました。「あなたは一年休学したから、学籍の手続きがやり難い、しかも、あなたは授業をサボったため(実はあの日は授業がありませんでしたが、彼等は嘘をついていました)、うちの学校はあなたを受け入れません。」と言われました。このようにして私は再び退学させられました。

先日、私はおばさんと一緒に前の中学校の校長(校長が変わって、女性になっていました)を訪問し、私の就学問題を解決してくれるよう頼みましたが、彼女は「私は受け入れません。保証書を書いても、私は受け入れません」と言いました。おばさんは「あなたはどうして心を鬼にして、この子が勉強出来ないのを無視することが出来ますか?」と言うと、「私は構いません。自分で解決してください。私に言っても仕方がありませんので、上級に言ってください」と彼女は言いました。

私はいまだに小学校卒業生のままです。私は本当に学校へ行きたいのですが、彼等は私の教育を受ける権利まで奪ってしまいました。