日本明慧


中国共産党はSARSの広がりに対して逃れられない責任がある

石山氏はインタビューしている間に、中国政府が疫病の情報を隠蔽していることに気づき、中国政府がSARSの広がりに対して逃れられない責任があると指摘した。 

石山氏は次のように述べた:メディアの報道によると、広東省の河源で2002年11月16日に第一例のSARS患者が入院治療した。12月中に7名の医療関係者が感染した。これによって、SARSの伝染性が確認された。この情報を広東省政府に報告した。だが、2003年1月3日の河源地方新聞に「河源には伝染病はなく、天候の変化によって起こされた風邪が多発している」と報道された。同年1月中旬に、広州中山医科大学の附属病院で多数の医療関係者が感染した。市民は電子メール、携帯電話などを通じて伝染病の流行を知り、人々は多量に板蘭根など予防薬を購入し始めた。

2003年2月中に、広東省衛生局はSARSの存在を確認した。後に海外のメディアにも追跡報道し始めた。だが、広東省のメディアはSARSに関する報道を突然中止した。当時、ちょうど春節の休暇期間中で、たくさん各地から広東省に出稼ぎに来た人が帰省した。この人たちによってSARSは全国各地に持ち帰られた。広東省ウイルス研究所の専門家はSARSがまたコントロールされてないことをメディアに通達したが、関連部門から「黙ってほしい」と要求されたという。 

同年3月に、WHO(国連衛生機構)は北京のSARS伝染状況を調査したいと要求したが、北京に断れた。WHOは広東省を伝染病流行地域と指定した後、北京はWHOの調査要求を受け入れた。だが、調査に対して患者を隠す方式で隠蔽工作を続けていた。それにも関わらず、北京はSARSを“法定伝染病”と指定し、発病例を隠さず上へ報告するように要求した。だが、この情報は公に報道されなかった。ただ中国共産党内部の文章として伝達した。 
石山氏は次のように指摘した:SARSが出てきた時、中国政府は如何に迅速に疾病の伝播を抑えることを考えずに、政治の安定、経済の成長を国民の生命より優先に考えていた。

SARSから報道自由の重要性を考える 

有名な政治評論家胡平先生は次のように指摘した:最近の一週間以来、中国政府はSARS情報隠蔽のやり方を変えた。この変化は政府自身からの変化ではなく、外部からの力によるものである。もし感染者が中国の人だけで、外国人や香港人が感染されず、海外のメディアやWHOの圧力がなければ、このような変化が起こることは考えられない。

中国政府は従来自然災害の情報を隠蔽し、或いは軽く報道するようにしていた。政治の安定は永遠に第一位として考えられ、国民の生命がただ統計数字上の意味しか過ぎなかった。今まで彼たちは成功にやってきた。だが今回は失敗した。SARSの厳重性を予測できなかったのだろう。 

カナダと中国を比較してみれば、政府役人の考え方は類似しているかもしれないが、違うのは、カナダにはメディアの公正な報道があり、SARSの全貌が公開されている。中国政府の態度は変わったけど、公表された数値の信憑性が依然低い。それは情報源が唯一のものであるからだ。最近、中国政府はインターネット上に“嘘の情報”を流している人を摘発している。だが以前嘘と言われたことは、後になると事実だと証明された。実際に、前衛生部長(厚生大臣)張文康こそ正真正銘の嘘をばら撒く人である。

胡平氏はまた次のように指摘した:開放の社会こそ嘘に対する免疫力が付く。911事件から見れば、開放の社会で危機が起こる時、市民は政府を支持し、自ら流言に抵抗していた。市民は協力、理性、仁愛の精神を表した。多くの救援活動は政府の指示管理がない状況下で自発的に行われた。 

HIV(エイズ)はアメリカから伝出したが、アメリカを責める人はいない。なぜ、SARSの問題で中国を責めるのか。理由は中国政府が情報を隠蔽し、中国には報道の自由がないからである。政府役人の問題判断方式や政策決定方式が変えることは期待できないが、報道の自由を開放するべきである。国際社会において中国のイメージはSARSの情報隠蔽によって大きく損なわれ、名声が暴落した。もしこれを直さなければ、この事件に費いやしたことは無駄になってしまう。 

胡平氏は一人経済学者の言葉を引用した:「人は餓死にならないが、人は人を餓死させることができる」この経済学者の研究によれば、大飢饉は殆ど報道自由がないところに起きる。最後に胡平氏は次のように指摘した:「人間は自然災害を征服することが出来ないかもしれないが、我々は人災を抑制すべきである。古人が曰く:天災から逃れられる可能性があるが、人災から逃れられる可能性はない。我々は人災を克服する方法を考えるべきである」