日本明慧


北京の学習者へ真相を伝えた感想 

2003年5月8日 文/北米の学習者

【明慧ネット5月8日情報】

一、真実を伝えることの感

私は自ら電話することは、それほど多くなかったが、他の学習者と同様に電話する時に、緊張して何を話したらいいのか、分からなくなる経験をした。ところが、電話や直接真相を伝える方法を通じて、「大法の徒は真相を伝え、口から鋭い剣を一斉に放し」 (《早く伝えよう》)の感があった。「真相を言う目的は皆が既に分かっていたように、この邪悪の迫害を暴きだし、世人に知らせ、宇宙の衆生に知らせるのだ。貴方たちはここで言うが、貴方たちの各層のすでに修煉出来上がった体も各層の天体に言うのだ。」 (《大ニューヨーク地域法会での講法と解法》) 最近、SARSに関して、北京の人に真相を伝えているうちに、深く感じた。電話の相手に、「私は海外から電話をしている。私も北京の出身なので、“SARS”の状況が気になっている。貴方と家族が、無事に今回の難関を乗り越えることを祈っている」と話した。相手は感謝の意を現わした。そして、北京の“SARS”に関する新しい情報と厳しい状況を簡潔に伝えた。また3月に北京で “SARS”が発生した頃、「人民大会」の開催期間であった為、政府は各大病院に命令し、事実を隠し、情報を封鎖するように指示した。SARSは既に沈静化したと報道しているので、今の爆発をもたらしたことを伝えた(相手は皆よく聞いてくれた)。更に、江沢民氏は、国際裁判所へ告訴されること。また、江沢民氏はSARSについて、中国国民を騙したばかりでなく、法輪功のことにおいても、国民を騙したと言うことを伝えた。私はお礼の言葉を述べ電話を置いた。 

二、心が純粋の時に 

直接真相を伝えた時、他の空間では一つの場があることを感じた。心が純粋の場合、正の場が強く、智慧と慈悲が心の底から自然に流れて来て、真相を言う効果は、言えば言うほど良くなるのであった。それに対して、心が安定していない時には、真相を言うことも影響され、話すことも上手くいかず、真相がはっきりと言えなかった。 

毎日一定の時間を用いて、直接真相を言うことは重要ではないかと思う。人の観念によって、他のことが影響すると思っているわけではない。多くの不可能と思っていることは、実は観念である気がした。当初、一時間に何人も電話をすることは無理と思い、もっと効率が良いことをすべきだと思った。実際には、それらのことはお互いに助け合っているということを感じた。多くのことをお互いに助け合っているうちに、人の観念は排除されていった。 

如何なることにおいても、皆法の要求に従った時、真相を伝えているうちに昇華した心は、他の法を正すことに反映できるのではなかろうか。真相資料を製作する中に、真相のビデオを編集する中に、この感想が出てきたものである。師父は《大ニューヨーク地域法会での講法と解法》で:“大法弟子は形を重く見なさないでほしいのです、貴方自身の修煉すること、貴方自身を高めること、貴方は邪悪の中に法を証実し、衆生を済度し、貴方自身の歩むべき道を固く歩むことが一番重要です。”と語ってくださった。 

三、言葉では表現できない

午前中の正念を発する時に、涙が抑えないほど頬に沿って流れてきた。修煉中に歩いた一歩に、師父は心血を傾注してくださった。いかに師を手伝い法を正すことをしても、大小を分けることなく、師父は無限なる慈悲と保護を打ち込んでくださった。師父が救ってくださった命であり、師父は業に業を重ねた生命をきれいに洗ってくださり、いつまでも報うことなどはできない 。“歴史上にもあったことがなく、超えることもない栄耀をくださった”!(《大ニューヨーク地域法会での講法と解法》) 師父がお与えくださった衆生を済度する使命をよくできたのであろうか?衆生の希望に背くことはなかったのだろうか?