日本明慧


このような留置所がある

2003年4月22日/大陸大法学習者

【明慧ネット】2000年の年末のある日、私は勤務先のある女性の同僚と共に北京行きの列車に乗った。途中さまざまな妨害を乗り越え、ようやく天安門広場に辿り着いた。当時、法輪功学習者が天安門広場で横断幕を広げる人は毎日千人を上回り、とても多かった。それゆえ、駅やバスセンターなどでは、北京の警察と各地の警察が天安門広場に行く法輪功学習者を防いでいた。

私達が天安門広場についた時、そこで横断幕を広げたり「法輪大法は素晴らしい」と叫ぶ声が次から次へと起こっていた。私たちは自ずとその中に合流していった。私たちはその壮観な場面に感動され、恐怖感は少しも無かった。私たちの横断幕が警察に奪い取られたが、私たちは横断幕をもっている学習者を助けて、その横断幕を広げさせていた。その後、私たちは警察の車に拉致され、前門派出所に運ばれた。そこでは法輪功学習者の数があまりに多かったので、部屋の中に入れられず、そのまま庭に立たされていた。暫くして我々は他のところへ分流させられ、私はある県の拘留所に送られた。
 
この拘留所についたとたん、ここの警察が他所の警察とは違うことに気がついた。彼(彼女)らはとても友好、善良的であった。いよいよ取り調べる時になると、私は心では次のように決心していた。自分の姓名や住所などを絶対打ち明けないこと。ところがその警察はただ「煉功して何年になりましたか。『転法輪』を何回読みましたか。坐禅はどれぐらい座れますか。半伽趺座ですか、それとも伽趺座ですか。天目が開きましたか。煉功して心身には何かお変わりがありましたか……」というようなことだけを質問した。その後、その女性の警察は、ある内務管理係に私に真新しい布団を持ってこさせ、私をある監禁室に送り込んだ。そこに監禁されていた犯罪者は、他人に暴力を加えない上、ある人は自分の綿入れの敷き布団を貸してくれた。
 
二日後になると、私はようやくそのわけが分かった。それはここの警察のほとんどが法輪功を修煉していて、特に四人の所長の中では、所長と二人の副所長が共に法輪功を修煉したことがあり、もう一人の副所長は修煉しないが、彼も法輪功が素晴らしいと主張しているのであった。そのためこの留置所では、警察から犯罪者まで法輪功とは何かとみな分かっていた。しかも多くの警察と犯罪者は、毎日のように法輪功をやっていたのだ。こういった環境において、法輪功学習者は虐待を受けたものは一人もいなかったという。警察たちは、勤務を引き継ぐ際、もし新しい法輪功学習者が入ってきたと聴いたら、必ずその新しい学習者を呼び出して、ひとまず煉功を一回させるのであった。ある法輪功学習者が、その動作が標準ではなかったため、警察は「貴方の何処そこの動作が標準ではなかったので、その『罰』として壁に向かってしばらく『抱輪』(法輪功の第二式)をしなさい」と言ったという。時には、警察が『転法輪』をもってきて、学習者に一講を読ませたこともある。この留置所では、知らず知らずのうちに人々はみなよい人になろうとすべきだと分かるようになったので、他人を殴ったり罵ったりするようなことはほとんどなかった。そして、衛生と食事も他の留置所よりはるかによいのである。
 
ここの所長は、私達に次のように言った。「あなた達は落ち着いてここに居てよろしいです。ふだん、煉功しても坐禅してもよろしいです。時期になったらすぐ釈放しますから」まったく所長の言われたとおりであった。ここに拘束された法輪功学習者はたいてい十日間ほどになればみな釈放された。長くても15日を越えなかった。しかも釈放される時、警察たちは、荷物を持ってくれて見送りもした。自分の着物やお金などはみな元のままであった。
 
私は、その留置所で十日間拘束されてから無事に家に返った。この留置所は何故このように法輪功学習者を友好、善良的に持て成すことができるのであろうか、それはここの警察が法輪功を修煉し、あるいは法輪功のことを十分了解しているので、その環境がうまく変わったのだと、私は考えている。私は帰ってから、同じ学習者達にこのことを話した。皆、その留置所にはよく分かっている警察がそれほど多いことにみな吃驚した。
 
法輪大法は人間を善に向かうことを導き、道徳の回復を促進することができ、国にも国民にも百の益があって一つの害もないのである。同じ留置所、同じ警察であるのに、状態はまったく違っている。警察も人間である。そこの警察は法輪功を修煉して善く変わってきたので、その環境もよくなったのである。これは、正しく法輪大法が正法であることを証明しているのではなかろうか。