日本明慧


修煉体験——電話をかけること

【明慧ネット5月9日】私はここでみなさんと一緒に電話で真相を伝える体験を共有したい。

多くの同修は実は電話をかけられないのではなく、まず電話機を取り上げることができないのだと私は思っている。私はずっとみなさんにメールを出して、電話で真相を説明するよう呼びかけているが、私も電話機のことを思い出すと、やはり怖い。結局修煉の問題で、これも修煉の一つの過程だと思う。最初にインターネットカフェのチャット室に入って、初めてチャットに入ったとき、入ったとたん、私は怖くてすぐ離れた。チャット室のディスプレイいっぱいにいろんな汚い言葉、罵声、それにいろんなエロ情報に満ちていた。その後しばらく私はチャットに行かなかった。ネットチームがどんなに“呼びかけても”、わたしは動こうとしなかった。これは私がいくべきところではないと思った。

後になって、いろんな障害に打ち勝って、またチャット室に入った。その日私は15人いた小さなチャット室に入った、大成功だった。みんな私が言ったことに感服し、私は自信がついた、その後はネット上のチャットで真相を伝えることが私の主な真相を伝える方式になっている。

最初はいろんな人心に動かされ、人に罵倒されたとき、気分を害して怒ったり;チャット室にあった低俗な書き込みをみて、彼らは本当に汚いと思った。彼らとチャットしていたが、本心では彼らを見下していた。後になってだんだん悟って:私が怒ったとき、気分が害されたとき、人を見下したとき、私が彼らの感情に動かされたとき、私は一人の常人になっている、常人の状態になった。徐々に私はこれらの人の状態から脱して、私はいかなるチャット室の人にも動かされなくなった。チャット室の中のものは全部粗い粒子の物質で、私を阻むことができない。私は真善忍と大法しか与えられていない。私が面しているのは、私が全力で絶えることのない知恵をもって、済度すべき宝貴な命である。

私の心が動じないとき、私は自在如意の境界を体験した。私は自由自在で、あらゆる方式をもって、いろんな角度から真相を説明できる。

私が知っている同修がビジネスをするとき、どのお客さんの所に行ったときも、まずそこで法輪功の真相を説明した。ときどきお客さんは彼女からまず5セットの功法を習ってから業務に入っていた。どんなところでも、だれにでも、彼女は真相を話すチャンスを逃さなかった。彼女が私に言った言葉の中に、非常に深く印象に残ったものがある。彼女が言った:我々が真相を説明するときは天真爛漫な子供と同じ、子供は手にきれいな風船を持つと、会ったすべての人に自分の風船がいかにきれいかを教える。子供の心の中で、まずこの人はどんな人なのかを評価したりはしない。彼女は非常に純潔な目的をもって、ただ風船がきれいだと人々に教えるだけである。我々大法弟子も一つの目的しかない、人々に法輪大法がいいと教えることである。我々が自分の人的なものを捨てたら、心の中に残るのは慈悲しかない。

電話をかけることも同じだろう。我々は自分を一人の神、一人の覚者とみなして、自分の人的なものをすべて捨てられたら、各種の懸念をもつべきではない。我々がこれらの貴ぶべき中国人がこれから面する境地をみれば、最初はよくできなかったかもしれない。しかし、次回はまたある。これは一つの修煉の過程があると思う。しかし、それぞれの同修はこの修煉過程にあまり長くかからないでほしい、なぜなら時間が我々を待たないから。

最後に、先生の言葉をもってみなさんと共に励む:“忍の中に捨てることがありますが、捨て尽くすことこそ、漏らすことの無い更に高い法理です。”(「精進要旨」・「円容」)

個人の体験で、妥当でないところがあれば、慈悲なる指正をお願いします。