理性で自分を正しましょう
明慧特別評論員
【明慧ネット5月12日】師父が2003年ニューヨーク交流会で法を説いた。質疑を応答した後に、一部で師父が言及した大法に申し訳ないことをした学習者及び大法弟子の称号を汚したことをした学習者は強烈な震動を受けた。師父の洪大な慈悲を感じ、ついにやった良くない行為に対して、過去と根本的に異なる認識を持つようになり、法を用いて自分を正し、正真正銘の大法弟子になろうと決意した。
そのうち一部の学習者は既に明慧ネットに厳粛な声明を出し、一部の学習者は自分が師父の言及した良くない行為をした人だと、大法弟子に打ち明けた。これらの挙動の基点は皆、過去に師恩に恥じ、大法弟子の称号を汚したことを認めたためであり、しかも、過去のよくない行為を直ちにやめ、大法に正されたい決意を表したものである。これは大法の感化力の現れである。良くない行為をした学習者にとっても貴重な時間を切り詰めて自分を正す重要な一歩である。
ところが、この過程に一部の当事者と回りの学習者の間に理性を欠き、責任を負わない現象が出てきた。例えば、一部の学習者は自分への執着及び自分の情の中で損得への執着を混ぜて是非を言っている。
さらに、一部の周りの学習者は不純な心で他人の誤った行為に執着し、具体的な細部を打診して流しており、甚だしきに至ってはこれを大法弟子の法を学び、交流する純粋なところまで持ち込んでいる。
ある学習者はこれらの良くない行為を受け入れられないため過激にこのことを見ているなどである。
同修として、これらの現象は大法学習者及び目下の世人を救う緊急な事態に、ある程度の妨害をもたらしたことに気がついた。従って、善意の注意として、自分の感想を文章にして同修と交流したい。
修煉は修煉者の心を根底から変えさせるためである。言いたいのは、前非をすっかり悔い改める誠意にあるべきであり、決して形式ではなく、求める心を混ぜるべきでもない。さもなければ、法の中から真を認識し、自分を正そうとすることにならない。
大法弟子は法を学び、交流時に自分の執着と良くない行為を言い出すのは、自分を改めるためであり、大法を証明するためであり、他人を修正するのではない。もし事情が他人にかかわりがあれば、他人に圧力或は良くない影響を来たさないように注意すべきである。たとえ相手は修煉者であっても、彼(彼女)に自分が認識したあとの意見を言える機会を与えるべきである。
大法弟子は法を学び、交流時に自分の執着と良くない行為を言い出すのは、常人の批判と自己批判ではなく、更に誤りと良くない過去に執着することではない。大法、同修と自分に責任を負う角度から、当事者であれ、周りの学習者であれ、皆大法修煉環境の純粋を自覚して守るべきである。言うべきでない内容は言わない、聞かない、流さない。
師父が97年2月に我々に訓戒を与えて下さった。「更に皆さんに教えますが、実は皆さんの以前の本性は、自分の為私の為を基にしたものであり、今後何かをする時にまず他人のことを配慮し、無私無我かつ他人を先に自分は後にするという正覚まで修煉しなければなりません。ですから今後、何かを行ない何かを言う時も他人の為、ひいては後世の人の為に考えなければなりません!大法が永遠に変らないようにするために考えなければなりません!」《佛性に漏れ無し》
修煉は厳粛なものである。誤った同修にとって、如何に法の上に自分の誤りの根源を認識して取り除き、時間を切り詰めて損失を補って自分を正するかは厳粛な課題である。また周りの同修にとっても、これらの誤ったことをした同修と彼自身を正する過程に如何に対処するか、同様に厳粛な課題ではないでしょうか?
師父の法は一体となっており、あらゆる大法弟子に説いたものである。すべての学習者にとって、大法弟子としてあるべき心で理性的に師父が説いてくださった法に対処できるかどうかである。また法を用いて周りで発生しているすべてと自分のほんの一念を判断できるかどうかである。及びこの過程に於いて如何に自分を修めて、善心で同修に対処するかは、各学習者の修煉状態を表しているのではなく、同時に我々の各チーム、あらゆる煉功点及び協会が師父の要求に応じてしっかりと成し遂げるかどうかに関っている。
大法弟子の間に最も貴重なのは、法理上の交流、高まりと法を正す修煉の中で互いに容認・支持し合うことであり、これに勝るものはない。もし大法弟子としての心で理性的に師父が説いて下さった法に対処できなければ、逆に人間の好奇心、余計な世話をする心、負けん気などの不純な動機、或は人間の不純な認識、さらに人間の熱心とお人よしの心でこのことに対処すれば、その結果、非理性の思想に左右され、他人を妨害し、全体に影響をもたらし、甚だしきに至っては旧勢力に利用されて大法の名誉を汚すことになりうる。
現在の毎日は我々の大法弟子にとって、あるいは衆生にとっても貴重なものである。すべての大法弟子は自分の法を正す道を正しく歩んで、邪悪に我々の全体を妨害させないように、我々の衆生を救う重大な使命と過程に影響させないように互いに注意し合いましょう。
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