日本明慧


“転化率”はどうやって得られたか:7、8日間も睡眠を許さず、手で目を開かせ、日晒しの中頭で皿を支え、縛られ虫に刺された

【明慧ネット5月21日】私は武漢市の大法学習者で、自分の信仰を放棄したくないため、自分の良心に背きたくないため、法輪功の公正合法な環境を取り戻すために、数回にわたって北京に上申に出かけた、数回にわたり悪人に捕まった。

2001年元旦直前、私の家はまた警察に不法侵入された(当時武漢市の邪悪の輩は大挙法輪功学習者を逮捕しており、ほとんどの人は家から誘拐された)、私を洗脳班に送り、そのまま1年半の間人身の自由が失われた。

この期間中、我々は先生の教えを忘れずに、自分が大法修煉者であることを忘れずに、邪悪の殴りや不法監禁に対して、我々は引き続き洪法し、真相を説明し、邪悪の嘘を暴露し、法をもって師とし、騙しに抵抗した。

市、区政治法律委員会、610オフィスと武漢市何湾労働教養所から派遣したチームが我々一人一人に対して洗脳と迫害を開始した。その手段は、法輪功修煉者に睡眠を許さず、車輪戦で、信仰を放棄しなければ、吊るされ殴られた(手が背中で吊るされ、両手両足別々で吊るされ、地面に接触させない)。跪かせ、ビンタで撃ち、トイレに行かせないなど、ある大法学員は迫害で救急病院まで運ばれたが、戻ってからまた迫害をうけた。

私はどのように迫害されたかというと、2002年6月、太陽がまぶしく、我々を烈日の下に晒して、靴を履かせない、素足で暑いコンクリートに立たせて、顔は壁に面して、ときに我々に彼らが作った高い帽子をかぶせられた。我々は睡眠が許されず、頭に皿を置かれ、皿が落ちたらすぐ殴られた。トイレいく時間は非常に短く、まったく休憩時間を与えられず、夜は両手を背中で縛られ、靴を履かせないで、草地で蚊などに刺され、丸一日晒してもお風呂にいくのは許されず、睡眠を許されず、全くファシズムの再現としかいえない。このように7日8夜で、私は高血圧になって、救急病院まで運ばれた。

私ははっきりしていた、彼らに協力してはいけない、邪悪に頭を下げてはいけない。次の日、彼らは私を洗脳班に連れ戻し、体罰を続けた。私が寝たとたん、すぐ殴られ、私に“決裂書”を書かせようとした。私は書かなかった。彼らはさらに私を5日も迫害した。彼らの目的が達成したら、すぐに世の人を騙して、彼らの洗脳成績はいかにいいかと宣伝したが、彼らはどういう手段でこれを達成したのかはまったく漏れることを恐れている。

私は自らの体験で、彼らのいわゆる“転化率”は、監禁、圧力、体罰によるもので、目的のために手段を選ばれないことを証明した。