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大法弟子何華江が大慶労働教養所の悪警察によって無残に凍死された経過

【明慧ネット6月2日】大法弟子何華江は、2002年12月23日に連行され、大慶労働教養所に収容されたが、その日の夜虐殺された。

何華江、男、42歳、住所は慶新9-16-201号で、大慶採油第6工場第4鉱山の労働者である。法輪功の修煉を堅持したため、第6工場の慶新派出所に捕らえられ龍鳳留置所に送られて不法に30日間監禁された。その後薩区の拘留所で不法に50日間監禁され、さらに、譲区拘留所で18日間不法に監禁された。

2003年12月23日午前10時頃、何華江は市立労働教養所に送られて不法に三年の労働強養の判決を受けた。皆が知られていることであるが当時彼はとても健康であった。保健所の健康診断を受けて、合格したので第2大隊に送られて特別監禁室に収容された。悪警官に指示されて迫害した人は、犯人王慶林、江発、趙彦軍である。昼間、犯人王慶林は夜になると何華江をやっつけると言った。何華江はいわゆる「懺悔書」を書かなかったため、当日の夜9時から11時の間に、犯人は冷たい水を何氏にかけて凍らせ、何氏を鉄の椅子に縛って口を塞ぎ、窓を開け、時には外に連れていって凍らせた。一階のトイレで迫害したため、二階のトイレまではっきり聞こえた。何氏の苦しんでうなっている声と犯人王慶林の「お前書くか書かないか、お前聞こえたか?……」などの叫び声がはっきり聞こえた。二階のトイレに行った犯人趙立志、ロ華山、大法弟子劉福彬等皆が何氏の苦しんでうなっている声を聞いた。迫害する時間が長く、凍り過ぎたため、何華江の呼吸は止まり、心臓も止まった。11時過ぎてから、何華江は邪悪な人達に迫害されて第2大隊の化粧室で死亡した。当時付強(保健所の医者)は救急したが、効果はなかった。何華江はこのようにされて亡くなった。

事故が起きた後、特別監禁室の犯人はその夜第3中隊のグループに戻った(第3中隊には犯人もいれば、大法弟子もいる)。彼らは事故の経緯を他の犯人に教え(仲良い者)たが、他の人には何も言わなかった。非常に怪しく、精神まで異常だった。

事故が起きた後、管理課長韓金山は事故の真相が漏れないように、多くの「隠蔽工作」をした。学習者には電話を一切させず、お見舞いもさせなかった。更に、嘘をでっち上げて、第2大隊の全体学習者と犯人を騙してやり過ごそうとした。何華江は心臓病で死んだとか、何華江は夜11ぐらいに水を飲もうと化粧室に行ったので、当番警察の許可をもらったとか、事故が起きた時保健所に医者を呼びに行ったとか、人民病院に送って救急したが効果はなかったとか、心臓病で突然死亡したとか、いろいろ嘘をでっち上げた。

しかし、何華江氏の死亡原因は皆が良く知っており、労働教養所では諸説紛紛であるので、紙で火を包むことは出来ない。第2大隊の人は、誰でもこのことを良く知っているが、ただ言う勇気がないだけである。特別監禁室に監視されている法輪功学習者は食事や便所など、一切外に行くことが出来ないので、夜11頃化粧室へ水を飲みに行くことはありえない。保健所の医者付強は、大法弟子の迫害を手伝うために、第2大隊で当番をしたので、現場から離れることはなかった。何華江が頭を下げた時、救急しても効果はないということを知りつつ、「救急」したという印象を作るため人民病院に送ったのに、救急するために人民病院に送ったというのは、全く陰険な手段である。事実の真相は副所長王咏湘が指揮し、大隊長王喜春、副大隊長張明柱、警察王剛、徐恩軍、犯人王慶林、江発、趙彦軍などが何華江を残酷に苦しめ、冷たい水で長時間かけて凍らせたため、死亡したので、人間では耐えられない苦しみで死亡したのである。悪警察と犯人は今だに罰されていない。殺人犯はまだ捕まらないでいる。これは天理が許されないことである!

われわれは大慶市労働教養所の大法弟子を迫害する悪人達に厳粛に告げる:善悪には報いがあるのは天理であり、やがてあなた達は自分の行為のために代価を払わなければならなくなる。これを承知の上で手柄による過ちを償いなさい。

何華江の迫害に参与した悪人は:管理課課長韓金山、保健所医者付強、副所長王咏湘、大隊長王喜春、副大隊長張明柱、警察王剛、徐恩軍である。

迫害に参与した犯人は:王慶林、江発、趙彦軍である。