日本明慧


魔難の中の同修に書き捧げます

文/大陸の大法弟子金剛

【明慧ネット6月1日】私は、かつてさまざまな苦難を経験しました。一つ一つの難の中で味わったものは本当に苦痛なものでした。苦しみの魔難の中で、私もかつて“もう行けない”という考えがありました。しかし、自分は常人ではなく、大法の弟子であることを思い出し、全ての大法に対する魔難を強大な信念で立ち向かって行きました。確固とした信念は、一つ一つの魔難を乗り越えるように支えてくれました。それらの大法に対する魔難は、私の強大な信念の前で消え去ってしまいました。

ここで私は一つの物語を話したいと思います。この古い物語は次ぎの通りです。

非常に敬虔な気持ちで主を信奉する人がいました。生涯の中で彼は、主の要求にしたがって彼に対する全てをやり尽くしていました。しかし、彼は多くの苦難を受けました。ある日、彼はとうとう我慢できず、不平を言いはじめました。自分がこれほど自分の主を信奉しているのに、主は自分に良くしてくれないばかりか、受けている苦痛を見ても何もせず傍観していると言いました。

この日の夜、彼は夢を見ました。夢のなかで彼の主はそのとてもすばらしい花園に来られました。その時、彼に声が聞こえて来ました。“私の子供、あなたが来たのか。元気か?”

彼は自分の信奉している主の声であることがわかりました。そこで彼は主に:“私は少しも良くありません。私がこんなに敬虔な気持ちで主を信奉しているのにどうして主は苦痛を受けている時、助けてくれないのですか?”と言いました。

彼の主は:“私の子供、私はずっとあなたを見守っていたよ!”と返事しました。

彼は不平を言いました。“本当なのですか?でも、どうして私が海岸を幸せに散歩する時、私に付き添った二筋の足跡を見ることができますが、私が艱苦の耐えられない苦痛の中でかろうじて前進している時も二筋の足跡しかみえません。私は、それが自分の足跡であることは分かりますがその時貴方はどこに居ましたか?

主は慈悲に満ちた声で彼に言いました。“私の子供、あなたは知っているのか?それは、私が貴方を背負って歩いているからだよ!”

その時、彼は夢の中から目が覚めました。その慈悲な声は依然として彼の耳でこだましました。“私の子供、あなたは知っているのか?それは、私が貴方を背負って歩いているからだよ!”

たちまち、彼の目から涙が滝のように流れ、彼は恥ずかしくていたたまれませんでした。

実のところ、今日大法をめぐって発生しているすべての苦難を、私達の偉大な師父は認めていません。大法弟子としての私達も絶対認めません。

しかし、この魔難の中で常人はいつまでも歩いていられないのです。大法弟子は偉大な法によって育成されたものです。しかもこの法はダイヤモンドのように破れません。大法弟子として私達は、歩いて行くことができます、しかも、私達はすでに今日まで辿り着いています。

偉大な法輪大法で作り上げられた大法弟子として、私達は永遠に難攻不落なのです!