日本明慧


よく覚えましょう:“求めることなく行い、始終法理の中に”

文/アメリカ大法弟子

【明慧ネット6月14日】現在、法を正す進展はとても速くまた肝心な時です。大法弟子は、みな時間が貴重で緊迫していると見ており、毎日の三つのこと、つまり法の勉強と真相説明及び発正念に最善を尽くしています。特に、邪悪の悪頭を暴露することによる真相説明に関しては、みんな共通の認識があって、しかもしっかり構えています。しかし、最近「江氏訴訟案」の状況に従って、学習者の中でいくつかの問題が現れてきました。一つ一つが求めるものであって、予測通りの具体的な結果が得られるよう強く望んでいます(訴訟案を成功させ、その上速くなければなりません)。しかも、常人に対して期待を寄せすぎて、大使館の外の当番ではない学習者達も続々と連日丸一日の正念を発しています。それによって、昼間の仕事と社会の各界に向っての真相説明に影響を及ぼしてきました。これらのことは、私達に図らずも去年のアイスランド訪問中に起きたいくつかの修煉面での教訓を思い出させました。

実のところ、正念を発することも三つのことの中の一つであり、必ず良くやり遂げなければなりません。しかし、極端に一つのことを強調しすぎると偏りと失調が生じます。しかも、常人の求める心を持ってどんなに良くやろうと頑張っても、効果は良くありません。

師父がおっしゃった言葉があります。“一つのことをする度に心配する執着は、必要ではない、と私は思います。考えすぎも執着ですが、余り考えが少なすぎると、まるで私達が失敗を恐れているように感じます。頭の中をそんなに緊張させることは必要ないと私はおもいます。”(《法輪大法義解》“長春法輪大法クラブ活動指導者解法”1994)

更に、極端に仕事の結果を追求し、しかも、私達に対する常人の認証を求めすぎないようにしなければなりません。一人、二人がこのようにして、かなりの学習者がこのように思っている時、古い勢力は機会をねらって邪魔をするのです。外部環境がいかなるものであろうが、常人がどの程度まで進めようが私達大法弟子は正法の要求に従って、私達でやるべきことをやり遂げなければなりません。これは何よりの良い結果であり、ではなければ中心を越えほかの問題が生じやすくなります。

大法弟子の世間正法修煉の目的は、江沢民を審判台に送り出すことではなく、最大限に衆生を済度することです。悪頭を起訴することと610訴訟事件をめぐって、私達はまだ完全に“広範で、しかも全面的に、詳細な真相を説明する”要求をやり遂げていません。法を正す過程は順序よく多くのことをやり遂げると同時にその他の事もうまくやらなければなりません。しかも、これらのことはほかのだれでもない私達大法弟子だけにできることであります。これからも私達は師父の教えを謹んで覚えましょう:“求めることなく行い、始終法理の中に”(《洪吟》−道中)。