日本明慧


私はやっと一人の大法学習者になった

【明慧ネット6月17日】法輪大法に会ったのは、数年前だったが、機縁がまだ届いてなかったのか、この4年間ずっと大法の門外で徘徊していた。今日やっと大法の大きな流れに乗り、一人の大法学習者になった。この瞬間から私の心が如何に伸び伸びとし、興奮しているかは言葉では表現できない。私はこれから法輪大法をちゃんと良く修錬して、一人の真の修煉者になることを決心した。

なんの力が私にこの決心をもたらしたか?これは師父の慈悲心が道に迷った私を悟って引き返すようにしたのだ。私はここで自分の考え方と体験を書いて、縁がある人達が一日でも早く大法を得るよう希望する。

幸いにも、私の周りの人はみな法輪大法の修錬者だったからだ。然し私はずっと法を勉強してなかった。これは私にとって補うことが出来ない損失になっている。99年学校を卒業して社会の大きな流れに入り、外で働いた。その間の体験は私に社会の暗黒面といろんな醜態をはっきり認識させた。2002年私はある大学の成人教育部に合格して、一人の大学生になった。

突然やってきた疫病がこの世界を席巻し、世人は恐怖に落とされた。自分の体験がなければその緊張と恐怖の状態は想像できないことだ。当時私は街に出ている人はみなマスクをしていることに気づいた。ひいては外出も恐れていた。まさにその時私は夢の中で大法の音楽を聞いた。目が醒めても依然としてはっきりしていた。私は猛然と師父を思い出した!私は目を醒ました。本当に目が醒めた。私は記憶を辿って、以前暗記した《論語》を思い出した。私は師父が私を今でも弟子として受け入れてくれるかどうか知りたかった。それは師父がかつて、法を学ばない人は法の内容が覚えられないとおっしゃったからだ。そして私は《論語》の一段落目、二段落目を思い出した。私が暗記した部分が正しいと証明できた瞬間、私は興奮して涙を流した。師父は私を放棄していなかった。この時期に法を得たのは恐怖心のせいだと言う人もいるし、命の危険が迫ってきたからだと言う人もいる、実はそうではない。考えてみると寿命はあまりにも短く、百年もあっと言う間に経って行く。生死はいつかは訪れるのだ、怖い事ではない。但しこの人類の災難から私達は幾つかの問題に対してその理由を知らなければならない。どうしてこの災難が起きたのか?どうして広州から始まり北京が最も重大なのか?

師父は世人を迷いの中から早く抜け出そうとしている。師父の心は慈悲なのだ。大法に同化した大法修錬者の心も慈悲なのだ。師父が法を伝えて、私達修錬者が法を広げている、縁がある人は早く目覚め、早く大法と縁を結ぶよう希望する!師父は皆を待っている。大法の修煉者として、私は縁がある人々が一日でも早く真の大法修煉者になることを希望する!