日本明慧


私の生徒たちは「万人署名運動」の場を頭を高くして去り、全学校の注目を集めた

2003年6月24日

【明慧ネット】私は中学教師である。法輪功を学んでから、私は仕事においてより注意深くなり、責任感を持つようになり、教育関係の多くの表彰を受けた。

1999年7月20日以後、学校は邪悪の流言で満たされた。次々と生徒たちの純粋な心が騙された。私はあらゆる好適な情況を利用して、生徒たちに真相を伝える努力をした。

いわゆる「天安門の自焚事件」後、邪悪勢力は私のクラスの生徒たちに、いわゆる「万人署名運動」に参加するよう強制しようとした。真相をすでに知った私のクラスの生徒たちはそのような活動に反感を持った。殆んどの生徒たちは署名するのを拒否し、並んで頭を高くしてテーブルを去った。

この年の生徒たちが卒業した後、私は次のクラスを教え始めた。私は続けて生徒たちに法輪功の真相を伝え、彼らは歓迎して受け入れた。その年の終わりに、私の家は四度目の略奪を受けた。2日目に私は教室に入って、生徒たちに起きた事件について話した。「私は決して個人的な理由で休むことはありません。もしも私が学校に来ない日があれば、それは私が不法に誘拐されたことを意味します。」生徒たちは非常に憤慨して、「では、クラス全員が警察に行って、先生を釈放するよう頼みます。」と言った。一生徒の両親は子供を通じて、私に注意するよう言って来た。

去年の後半に、私はもう一つのクラスを持ち始めた。すぐに邪悪勢力は生徒たちに、法輪功を中傷する映画を見ることを強いた。何人かの生徒は映画を見た後、レポートに良くないことを書いた。私はこの機を利用して迫害の真相を伝えることにした。

まず彼らがお金を払って映画を見ることを強いられたことから、話を始めた。又「天安門自焚事件」の真相を話し、国外では人々は法輪功に対し全く違った態度を持つこと、そして私の母が不法逮捕され、精神病院に入れられ、そこで一日二度不明な薬を注射されたことを話した。生徒たちは一言も聞き漏らすことのない程神経を集中して聞いていた。最後に私は言った。「私のこれらの言葉が何を意味するのか知っていますが、私は気にしません。重要なことは、あなたたちが真相を知り、正直な人間になることです。」話し終わった時、教室中に拍手が沸き起った。その後多くの生徒が日記にそれぞれの想いを書いた。一人は言った。「私は法輪功を嫌っていました......何故だか知りません。しかし先生の話を聞いた後、すぐに法輪功の側に付きました。」ある生徒たちは「あなたの様な良い先生を失うかもしれないことを恐れます。」

私がクラスで法輪功の真相を明かしたことを知り、教頭は集会で私を批判した。上からの圧力で、学校は私が教えるのをもう許可することが出来なくなった。その晩私の自宅の電話は鳴り続けた。多くの生徒の親が、子供達が帰宅して泣き出し、何が起きたのか分からないと言った。生徒の一人は電話で、校長が私を止めさせることにした時クラス中が泣き、皆は私が逮捕されるのかもしれないと恐れたと言った。夜の9時に、寒い風の中に3時間も坐っていた3人の生徒が電話して来た。一人が言った。「先生、自分の主義を通さなければなりません。私達は皆支持します。」

2日目に私のクラスを受け継いだ新しい先生は、クラスの後で教頭を探して、教えられないと言った。彼女が教室入るとすぐ、生徒たちは泣き出し、名を呼んで立つように言っても生徒たちは立たなかった。質問すると、生徒たちは涙を流していた。クラス全員が自発的に教頭に手紙を書き、私を復帰させるよう頼んだ。

多くの生徒の親も又学校へ、教育委員会へ、地方政府へ行き、説明を求め私を復帰させるよう要求した。彼らは、この先生が立派な性格で、生徒に対して良く、上手に教えるなら、敵であっても支持すると言った。校長は、私が法輪功を止めるという誓いを書くなら、復帰することが出来ると言った。私は断固として拒否し、その為に一週間以上停職となった。

ある日私が自宅で休んでいると、30人程の生徒たちが突然やって来た。彼らは学校に居るべきであったが、抗議を示す為にクラスを拒否し、私に会いに来たのだった。私は、勉強を遅らせて親に心配かけるべきではないと、彼らに注意したが、皆は親が許可したと言った。一人が言った、「先生、お祖父さんが先生に、于謙の詩をまだ覚えているかどうか聞くように言いました。」それは「骨身を粉砕されても怖くない。人間社会で清浄でありたいだけだ。」という詩のことかと聞いた。彼女は微笑んで頷いた。

何日か後、地区の「610」の頭と教育委員会の人が来た。私は他の空間の邪悪を除く為に正念を発し続けたので、この難関を越えて、ついに教室に戻った。

後程校長が、私の問題は学校始まって以来、親たちがグループになって交渉した最大の事件であったと言うのを聞いた。