北京の警察に虐殺された孫継宏の遺体を調べた孫の家族は殺人犯に詰問した
2003年8月9日
【明慧ネット8月9日】2002年9月25日大法修錬者孫継宏は真相を伝えに出かけたところ、北京豊台区草橋付近で三名の警察に捕まり豊台(警察)派出所に連行された。3日後豊台国家保安部に移され、2日後(9月29日)迫害により死亡した(明慧ネットがかつて報道した)
3日後警察は家族に人を連れてくるよう通知した。孫継宏の母親、妹の夫と当地の二名の警察が一緒に北京に行った。最初から豊台国家保安部は孫継宏の家族に条件をだした。家族は死体を調べ、解剖し、上訴の許可を要求した。当時豊台国家保安部は全て了承した。当時、黄となのる警察官は孫継宏の妹の夫に孫継宏の心理素質が素晴らしいと言いながら、この事は孫継宏の妻(大法修錬者)には言わないように、そうしないと彼女が反面宣伝をするからと言った。実際はこの事が明慧ネットに載るのを恐れていた。然し、その次ぎの日になると豊台国家保安部は前日に許可した内容を全て拒否した。
3日後になって始めて家族に遺体を見せたが、見せる前に写真取りは禁止、ビデオ録画も禁止と通達してきた。当時家族が招いてきた記者は中に入れなかった。警察は正にびくびくしていた。孫継宏の家族は遺体をみてびっくりした。それは警察が傷跡を隠すために、かれらの犯罪行為を隠すために、遺体の顔に白い物を厚く貼りつけて誰なのかがわからないほどだったのだ。当時孫継宏の妹の夫は:“この人は誰だ?知らない人だ!”と叫んだ。最後に警察はしょうがなく顔を綺麗に洗った。洗った後、孫継宏の左顔に三つの穴があり、右顔にやけどの跡が3箇所あり、あごと両眉の間にもやけどの跡があり、すべてがタバコの吸い殻でやけどをしたと思われた、左眉には又とても深いひっかき傷があった。孫継宏の母親が眉の傷はどうできたのかと聞くと、豊台国家保安部は孫が壁を超えようとしたときかれらが引っ張って出来たと答えた。
遺体を見た後、家族全員はとても憤慨して店に行き録音機を買い、豊台国家保安部に戻ってきた。孫継宏の妹の夫は豊台国家保安部の警察に問いただした:“貴方達は孫継宏の死が貴方達と関係が有ると認めるか?”と。その答えは:“私達と関係が有ると認める。”だった。当時一人の警察が言った:“孫は絶食して死亡した。”と。それにたいして、当地の警察が言った:“それは不可能だ、前回9日絶食した後も、車から飛び降りて逃走したから。”と。(私達は全ての会話の録音を持っている)最後に豊台国家保安部は御金でこの事件を示談にしようとした、はじめは一万元、さらに一万元を加えたが、孫継宏の家族全員一致で拒否された。
その後、孫継宏の家族は記者を探して北京豊台国家保安部の警察が人を殺害した邪悪な犯罪行為を暴こうとしたが、最終的に警察の脅しにあい暴ききれなかった。
現在中国の警察が江氏集団に操られ、法輪功の学習者を迫害するあらゆる手段を明るみに出せないやりくちである。法輪功学習者は正にこれらの犯罪者達の邪悪を世人に知らせている。
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