随筆:学法について
【明慧ネット7月31日】以前、明慧ネットに学法に関する文章がたくさん発表され、しかも内容は深いものでした。私は学法における教訓を書きたいと思います。多数の同修はこのような問題が存在しなく、不思議だと考えるかも知れませんが、私にとっては大きな教訓です。かなり昔のことですが、書き出して、ここに存在する邪悪を取り除き、同時に新しい学習者に注意してあげ、私のような間違いを犯さないようにして頂きたいです。
私は学法点で集団で法を勉強した事がありません。法を得てから一人で黙々と本を読んで来ました。私は本を読む時、良く文字を飛ばしたり入れたり、あまり声を出して読まなく、一部の文字は大体見るだけで済ます人間の悪い習慣がありました。このような悪い習慣は、法を学ぶ時の弱点となって、邪悪に隙に付け入られたが、自分は全然分かりませんでした。本を読むのは早かったのでしたが、そんなに多く間違っていることは全然知りませんでした。
ある日、偶然に古い学習者にこの話をしました。彼女は自分が聞こえるように私に読ませました。私は始めて真面目に声を出して『転法輪』を読みました。九講を全部読みましたが、たくさんのところを読み間違い、一部のところは3、4回読んでも正しく読めませんでした。頭の中に間違った消息がたくさん入っていたので、目で見ながら読み間違う時もありました。
私は非常につらいと感じ、涙が止めどと無く流れてきました。私はこれ以上自分を許しては行けない、今だ『転法輪』を正しく読めないので、「法を正す時期の大法弟子」の名に恥じます。劣等感が生じて、数日間なかなか落ち着かなく、『転法輪』を見るだけでも、師父にとてもすまないと感じ、しかも恐ろしく感じました。私はずっと間違って読んでいたかも知れません。
ある文章を読んだことがありますが、天目が開いた小同修の話によると、『転法輪』を読む時文字を飛ばしたり入れたりすると、他の空間にいる魔は嬉しくてげらげらと笑うと書いていました。師父は「法輪大法義解」の中で、「私の本の中の一つ一つの字は,浅い層次において見れば一つの法輪である。深い層次において見ればそれは私の法身であり、偏旁部首でさえ単独である。あなたの口を経て念じ出した時、それも違うのだ。多くの人は既にかなり悪くない功を修煉し出した、念じ出した字も形象があるのだ、口から出たものは皆法輪である。」と言われました。師父は『転法輪』の中で、「本当の演化の過程は他の空間で行なわれており、きわめて複雑で微妙であり、ちょっとしたずれも許されず、精密機械に他の部品を一つでも付け加えると直ちに故障してしまうのと同じです。」と言われました。私はどうして『転法輪』を読む時その場で悟らない理由が分かりました。法を読み間違ったので、その中にいる佛道神が点化してくれるでしょうか?
冷静にしてから、新たに自分を念入りに見ました。倒れたら立ち上がって新たに始めよう。現在の条件のため、私は集団学法に参加する環境はまだありません。一人暮らしですが、時には声を出して読みます。環境は自分で作らなければなりません。
このことを書き出すのは、あなたに助言になれば、新しい学習者は条件があれば古い学習者と一緒に法を学んでください。それはあなたの向上にプラスになり、しかも他の人と一緒に学法すると思想も静かになります。われわれは皆自ら始め、集団学法の環境を作りましょう。二人だけでも一緒に勉強しましょう。師父が残してくれた修煉形式も集団に法を学び煉功するのではないでしょうか。邪悪の迫害のため、大陸のほとんどの地域ではこのような学法環境がなくなり、多くの同修は一人で本を読んでおり、家族の中に誰かが修煉しても一緒に法を学ばないですが、時間が長く立つと、怠けるのは免れません。
個人の悟りですが、集団に法を学び煉功する環境は師父が残してくれた修煉形式ですから、その環境を作るそのものが旧勢力を否定することです。旧勢力がこのような環境を破壊したが、われわれはそれを否定します。
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