姉の修煉の道
【明慧ネット9月15日】姉は苦労人で、運命はいつも彼女にいたずらをしていた。私の記憶が確かならば、彼女はいつも病気に悩まされていた。しかし、姉が法輪大法を修煉してから、そのすべてがかわった。大法が姉を救ったのだった。
1999年、江沢民が法輪功の弾圧を始めてから、姉は省政府にでかけて上申した。その後、姉はほかの大法弟子と一緒に真相を説明した。あるとき、姉が一人の大法弟子と北京に上申にでかけた。帰ってから、毎日悪人の尾行に悩まされ、彼女は誰とでかけたかといつも聞かれた。姉は動揺しなかった、なにも喋らなかった。毎日姉は蝋燭を灯って法を勉強し、同時に悪人が邪魔にくることも防ぐ必要があった。毎日夜、時間を作って自分で書いた真相ビラを配った。姉の勇気は私は想像できなかったが、姉はいつもこう言った:「私は大法弟子、私は大法から利益を得た、私は大法を証明できなければ、私は大法弟子と言えるか?」
2000年、姉がもう一度家から出かけ、アルバイトをやりながら、大法を証明した。あの時、姉は自分のすべてを果たして、真相を説明するため、寝ることも惜しんだ。資料点に連絡できなかったので、姉は塗料を使い自分で書いた。
姉の苦しい事情に見かねて私は姉に帰るように言った。後で姉が昔の煉功点の補導員に連絡できて、多くの法輪功真相資料や本、先生の新経文をもらった。駅で資料を運ぶとき、駅の悪人が逐次身分証明証のチェックやかばんの捜査を行ったが。その日、姉が私に正念を発するようにいって、悪人が前にきても、なにもせず去った。先生がいわれたように、「一つの心も動じなければ、全ての変動を制することができます。」「精進要旨二(最後の執着を取り除こう)」。途中のこのような過程を経験して、私と姉は言葉では表せない新しい感受があった。
2000年、姉はある大法弟子と周辺農村に真相を説明しにでかけた。当時資料がなく、彼らは紙とインクを買って、昼書いて、夜配って、張って、さらに出てこない大法学員を激励した。その後、悪人が彼らをつけた、その大法弟子は職場に戻ってから隔離された、姉は悪人尋問の次の日正念をもって脱走した。後にその大法弟子が1年半の労働教養を言い渡された。同年10月、姉は資料点に連絡できず、毎晩いっぱい歩いて塗料で書いた。その後、姉はまた同修をみつけて、彼らは小型資料点を立てて真相資料源を確保した。
2001年8月18日夜10時、姉と私はちょっと遠いところに真相の旗をあげにいった。姉は悪人に連れて行かれた。その後消息を絶った。同年10月、悪人が私を訪ねて、私は初めて姉が看守所に監禁されていることを知った。彼らは姉を歩けなくなるまで殴打し、重労働を課せて、ノルマが達成できなければ食事抜きにされ、さらに時々尋問された。ある日悪人が姉を尋問されたことを、帰ってから姉の言葉を教えてくれた、「’生死を捨てれば執着はない、執着を捨てれば生死はない。’あなたできるか? あなたの姉はできた。」 先生は言われた、「もし修煉者はどんな境遇においても生と死を放棄できれば、邪悪は必ず怖がるのです。もし全ての学習者が生と死を放棄することができれば、邪悪は自ずと消滅してしまうのです。皆さんは既に相生相克の法理を知っているので、もはや恐れる心がありませんから、恐れさせる要素もなくなりました。これは強いてこうしたわけではなく、本当に平然として放棄したためこうなったのです。」「精進要旨二(最後の執着を取り除こう)」邪悪な610の主任も姉に感服し、「この女はすごい」といった。
2002年5月、姉が当地中級裁判所に不法に3年半の刑を下された。今でも姉は女子監獄に不法監禁されている。そして姉の夫が圧力に屈して姉と離婚した。姉は手紙の中でこういった、「ある修煉の人は常人の中の得失を気にしないのだ。」先生は言われた、「一人の修煉者が経験する試練は常人にはとても耐えられないものですから、歴史上修煉して圓満成就できたものはとても少なかったのです。人間は所詮人間だから、肝心な時になかなか人間の観念を放棄できないのです。しかしいつも何かの口実を設けて自分を納得させています。しかし偉大な修煉者はつまり、重大な試練の時に自我を放棄し、更に一切の常人の考え方を放棄できるものです。」「精進要旨二(位置)」姉があの環境でどのくらいの酷刑を絶えなければならないかは私には想像できないが、しかし私は大法を信じて、先生がかならず姉を邪悪の迫害から歩き抜けだすことができると信じている。
最後に先生の経文でみんなと一緒に励みましょう:
正大穹
邪悪の逞しきも幾時ぞ
衆生の志を顕し尽せば
この劫誰かその外に在る
衆神の痴れものなるを看て笑う
李洪志
2001年2月10日
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