学歴があるか否かは大事なことではない
【明慧ネット9月19日】先日、ある学習者とお話をした時、中国国内には50代の弟子が相当な比率を占めているが、海外には若い、かつ高学歴な人が多いということを話しました。年を取って、あまり教育を受けていない学習者たちに対して、私は心の中で少し心配していました。その学習者が私の言ったことを聞いてから、彼女自分が刑務所に拘留されていた時、自ら見た次のことを私に言ってくれました。
(一) ある地方から北京へ大法をはっきりと証明しに来たあるおばあさんが、保証書にサインすることを拒否した。北京調達所で付文奇を始めとする悪い警察たちはそのおばあさんの中指を無理矢理にもって保証書に抑えつけた。警察の人数も多く、おばあさんは年を取っていたので、無理矢理に指紋を押さえつけられた。その時、おばあさんは全身の力を出して、大きな声で「?天がみているよ!」と叫びました。苦痛とどうしようもない表情があのおばあさんの顔に表れました。(邪悪のいう「転化率」は、かなりの部分が上述したやり方で保証書にサインさせ得たデータである。)
(二)他の地方から北京へ来たもう1人のおばあさんも「転化」を拒否し、警察は長期間彼女をしゃがませて、また以前水商売をしたことのある女性犯人を使って、そのおばあさんの頭を抑えていた。警察が帰った後、その女性犯人が彼女に対して、「頭を上げて、ちょっと休もう」と言った。おばあさんは穏やかにその犯人に言った。「あの、私は我慢できるよ。私のせいで、彼らがあなたを困らせないように、私は我慢できる。この程度、私にとっては、なんでもないよ。精々、死ぬだろう。こっちへ来る前に、私はちゃんと考えていたから。」
私は涙を流して、同じ学習者の言ったことを最後まで聞きました。ずっと黙っていました。長い間、後天的に形成された人の強い観念は「文化のない」2人のおばあさんの前で、瞬間的に崩壊した。そしてそのことから、私は自分が修煉での差に気がつきました。命の心性がどれほど大法と同化することができるか、これは最も根本的なことです。しかし、常人の全てはその表面のことです。佛は「その表面を捨てて、その心だけを見ています。」
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