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河北省大法弟子孫守琦さんが定州城北拘留所で迫害に遭い死亡

【明慧ネット9月26日】孫守琦さん、女性、56歳、大法弟子である。家が河北省定州市財政局の向かい側にある。2002年4月以来ずっと定州城北拘留所に不法監禁されていた。2003年6月1日断食で長期間監禁に抗議したため、3日拘留所の警察に運ばれ、帰ったとき、指に1寸ほどの傷口があり、骨が丸だしになっていた。小便がコントロールできなくなって、喋ることもできず、その夜病院に運ばれ、4日午前11時死亡した。

2002年4月24日午後、河北省定州市西城区派出所のある悪人警察が普段着を着た男性数人をつれて芦荘子大隊張蘭柱さんの家にいった。孫さんがそこで部屋を借りていた。彼らがドアをあけて押し込み、孫さんの家を荒らしたが、なにも見つからず、孫さんを定州西城区派出所に連れていった。孫さんの兄弟がこのことを知って、派出所まででかけて釈放を求めたが、だめだった。孫さんが定州城北拘留所(定州市拘留所と看守所が同じところにある)に送られ、その後ずっと監禁された。

2003年6月1日、看守所が”大清査”を名目に、監禁されている大法弟子を外に並べ、所の官員たちが大法弟子たちのものをとり、布団やカップラーメンやミルクなどを地面に散らかした。大法弟子は看守所で十分に食べ物を貰えず、仕方なく家族の差し入れのお金で所内で高い値段で食べ物を買わざるを得なかった。警察たちの靴は任意にそれらの食べ物を踏んで、まったくなんの遠慮もなかった。先生の経文が見つかり、もっていかれた。大法弟子が阻止にいくと、彼らにひどく殴られた。

このことが朝におき、その後大法弟子は断食で抗議を始めた。さらに市委員会にこのことを伝えようとした。そして彼らは大法弟子に、食べたら話をしようといった。一部の大法弟子が食べ始めたが、彼らはその弟子を無視した。6月3日午後5、6時ころ、警察がずっと抗議していた孫を運んでいった。当時ある大法弟子が孫さんを守ろうとしたが、彼らは人数が多く、だめだった。その後大法弟子たちがドアのところでずっとまって孫さんが連れて行かれた部屋を見つめつづけた。

しばらくして、孫さんが人の手をかりて運ばれた。彼女の右手に包帯をして、彼女が包帯を解き、傷口をみせた。1寸ほどの傷口があって、骨まで見えた。血が絶えず垂れていた。彼女がみんなに事件を教えた。公安局長の劉建英を含めて10数人が彼女に強制的に輸入しようとした、孫さんが長期監禁に抗議して、抵抗した。その時、赦所長が孫さんの手をつかんでベッド際にもって自分でその上に座った。孫さんが激しい痛みを感じて、叫んだ。「ちょっと動いて、手が骨折する!」しかし、赦所長は「そのつもりだ。」と言った。所長の張庚が孫さんの頭を押さえて、孫さんが抵抗したのをみて、孫さんの髪をつかんでベッドに叩きつけた。彼らは汗びしょだった。孫さんが劉建英に抗議した。「拘留証にあなたはサインした。あなたは半月の拘留といったのに、現在いったい何日たったのか? どれくらいの半月か? 輸入しないでください。もうあなたたちの水も飲まず、ごはんを何もたべない。」

孫が経過を話し終わって、さらに何かを聞こうとしても何も応えなかった。彼女は自分寝るところを指差した。みんな意味がわからなかった。彼女は迫害で小便をコントロールできなくなっていた。彼女は他人のベッドを汚したくないとみんなはやっと理解できた。彼女はもはや喋ることもできなくなり、口から白いものがでてきて、皆このままではいけないと思い、拘留所側に教えた。彼らは獄医を呼んできた。獄医がさらにいった。「やっと喋る気になったか?」 孫さんが危篤になったのをみて、病院の医者を呼んで、孫さんの体温を測って、タンカで孫さんを運んでいった。9時か10時の間のことだった。

このようにして孫さんは2003年6月3日夜1時入院し、4日午前11時死亡、享年56歳だった。

孫さんの夫榮肖(音)が以前法輪功を習ったことがある。家の電話:031202565088

以下は河北省定州市大法弟子孫守琦さん2003年6月4日死亡させた責任者である:

定州市看守所所長  張庚申 0312-2353188 住所:定州勝利バス工場
拘留所所長   李軍庫 13091239592(携帯)
拘留所オフィス電話 0312-2581444 2327119
赦姓指導員(名字不明)