日本明慧


発正念を表面的な一種の形式にしないように

2003年9月25日 文/大法修煉者

【明慧ネット2003年9月25日】通常ほとんどの修煉者は一日四回の定時発正念の前5-10分を利用して自分の空間場を整理する。しかし私は自分が発正念をする時、雑念がわりに多く、多くの場合正念の実効果が良くないことに気がついた。多くの場合大法の仕事に忙しく、発正念の時間が近づくと(言い換えれば5-10分前)正念を発し始める。往々にして頭はまだ手元の仕事を考えており、発正念の時あれこれとくだらないことを思いめぐらす。ひいては白昼夢にふけったり、寝てしまいそうになったり、手が倒れたりもする。私は、これは表面的なやり方ではないかと苦々しく思った。また時間も無駄にした。

解決の方法は常にあるのだ。私は師父の言葉を思い出した:“一人の人間は一つの容器のように、何かを入れられたら、そのものになります。法をたくさん吸収したら、法に同化することになります。もし貴方は土を入れられたら、土になります。 ”(《シンガポールでの法会における講法》)私は私の頭に法をもっと入れれば、私がもっと清らかで、静かになると分かった。よし、それならば四回の発正念の前30分に手元のすべての仕事を止め、集中して法を勉強する。そして定時5-10分前から自分を整理する。そうすれば、思っていた通りすぐ効果が現れた。私はどんどん静かになった。雑念があるとしても容易にそれを取り除けるようになった。正念の威力が強大になり、再び任務を果たすために強制的に座る感覚がなくなった。30分の発正念を終えたあとまだ意が尽きなかった。ほかの修煉者がこのような考えの筋道を参考にし、個人の条件により自分を調整し、もっと立派にできることを念頭において、この文章を書いた。

もちろん、同修の入定が良く出来、随時に仕事を止め、すぐ正念を発することが出来ればそれは最もよいことである。発正念の5分間に本当に心が静かになると、非常に大きな作用が働く。