日本明慧


趙徳文の仏前の不思議な出来事、世人は目覚める

趙徳文は、52才の女性で、天津市北辰区の住民であった。法輪功を修煉した為に、2001年1月19日に自宅から拉致され、労教所一年の刑を言い渡された。彼女は天津市大港区板橋女子労教所五中隊に監禁された。この不法監禁の間、彼女は大法に対する信仰が岩の様に堅く、邪悪の要求に一切応じなかった。その為に一年後、刑期は延期され、更に一年五ヶ月を過ぎても釈放されず、迫害で死に到るまでそこに留置されていた。

趙徳文に大法の信仰を放棄させようと、殴り、蹴り、手錠を掛け、電気棒で電撃し、夜眠らせず、外に立たせて蚊に刺されるままにした。1メートル立方の籠に入れられたこともあった。彼女が煉功すると、数人の悪徒が庭に引っ張り出し、蹴っては殴った。最後には豚の養殖場に入れられ、豚と一緒に監禁された。趙徳文は、残酷な刑に全く動揺しなかった。2003年2月16日、一年余りの超過監禁後、姉が会いに来た。彼女は姉に言った。「私はあらゆる苦を舐めて来ました。それは法輪大法の修煉をする為であり、決して自殺することはありません。師父の教え通りに、大法の修煉をする者は殺生せず、自殺もしません。私がもしも死んだなら、それはこの人達がやったのです。」と言って、そばに監視している邪悪な警察を指さした。

この姉との面会は彼女達の永遠の別れとなった。三ヶ月半後の2003年6月3日、労教所は突然趙徳文の夫と子供をを迎えに車を寄越し、趙徳文は死んだと伝えた。これを聞いて、家族は声を失うほど慟哭した。後で分かったのだが、趙は第五隊に虐殺されたのだった。6月2日の午後、労教所の二人の悪女警察、王と寇が四名の麻薬常習犯に趙徳文を「幇助」(即ち迫害)させた。暫く殴ったり蹴ったりした後、この四人は趙の四肢を持ち、彼女を持ち上げては床に落とした。何度もこれを繰り返した後、趙の内蔵は破裂し、下半身から血が流れ出し、気絶して亡くなった。趙の死後、悪警察は罪の責任逃れの為に、首吊り自殺に見せかけようと、彼女の首の廻りに縄を掛け、更に動脈を切開した。下半身から血が流れているので、血液を凝固させる為に警察達は趙の遺体を冷凍させた。それでも三日後になっても彼女の下半身と切断された腕の動脈からは血が流れ続けた。血が流れ続けている為に、自殺現場作りは失敗したので、労教所は趙の親族に五千元を与えた。実際上趙徳文を虐殺したことを、黙認したに等しい。

趙徳文が虐殺された後、家族は弔いの為に霊堂を設けた。趙の同僚の一人が市場へ行って供物の果物をいろいろと買って、もっと買おうとすると、耳の中で「もう買わないで下さい。もう十分です。」という趙の声が聞こえた。声は幻ではなく真にせまっていたので、同僚は心中震えた。趙は話している、死んでいない、と思った。帰ってきて皆に言うと、皆は「法輪功修煉者は真に神である」と言った。夜になって、親類友人、隣人等多くの人が通夜に来た。暫くすると、束になった線香の上で「パン」と音がし、線香柱の頂点が破裂した。まるで蓮花のように数本の線香が一枚の花弁を作り、花弁が更に蓮花座を作った。燃えている火がまぶしい光輪を放ち、一部の人達はその光輪の中に趙徳文が慈悲深い面持ちで、単手立掌で坐っているのを見た。線香柱はゆっくりと燃え、一インチ半ほど燃える毎に、灰で出来た蓮花が一つ現れ、線香柱が燃え尽きるまで繰り返された。灰で出来た何層もの蓮花は崩れることがなかった。その場に居た人達は5、6名の警察官も含めて、ずっとこの奇怪な現象を見つめでいた。一人は「姉さんの霊が現れた」と叫び、もう一人は「妹の霊が現れた」と叫んだ。皆趙徳文が線香で焼け固まった蓮花座の上に座禅し、単手立掌しているのを見た。一人の姪が「おばさんは光輪の中で立掌して何をしているのですか」と聞いた。皆はこれはあまりにも不思議で、あまりにも神聖であると感じた。一人の大法弟子が皆に言った。「お姉さんは向うで福を得ました。彼女のことを心配する必要はありません。皆さん、良い機会を失わずに法輪功を学びましょう。」

趙が火葬場へ送られる日、三本の線香が火をつけられた。最初の線香が火をつけられた時、下部は揺れず、上部だけが揺れた。二番目の線香が火をつけられた時、全ての線香が揺れた。三番目の線香が火をつけられた時、全ての線香が線香立てとテーブルと共に揺れ始めた。説明のつかない奇怪さに、皆はショックを受けた。

火葬の前に、趙の服を着替えさせた時、人々は趙の背中に多くの打ち傷があるのに気付いた。彼女の腕首と下半身からは未だに鮮やかな血が流れていた。警察が囁いた。「3日も冷凍したのに、どうしてまだ出血しているのだろう? 本当に奇怪だ!」普通は遺体は数時間冷凍されると、血管の中の血液は凝固する。しかし、趙の遺体は三日間冷凍されたにもかかわらず、出血し続けていた。霊堂から火葬場へ行く途中、ずっと雨だった。火葬が終わった時、雨は止んだ。涙のような雨も趙徳文が虐殺された為に哭いた。

趙の葬式における奇怪な出来事があったことは、街の隅々まで伝わり、人々はいろいろと議論した。ある人は反省し、ある人は自分を責め、ある人は法輪功に対する見方を変えた。趙の葬式の間中大法弟子達は、流言に騙された人々に真相を伝え続け世人を救世済度した。以前表に出て来なかったり、修煉を怠っていた弟子達も積極的に参加した。

ある国家行政幹部は自分の目で不思議な出来事をいろいろと見た後、感慨して言った。「私は過去において政府の宣伝を信じて、大法に対して多くの悪い事をした。今回自分の目で事実を見た。今後政府が 嘘をつき続けるなら、私はもう信じない。それに私は他の人にも法輪功の真相を伝えよう。法輪功は実に神秘的であり、好いものだ!」 ある人は、「私は過去に政府の宣伝を信じ、反法輪功運動に署名もした。とても後悔している。今後、もう政府の言う事は信じない、全く人を害するだけだ。」と言った。弔いに参加した人達は密かに議論した。「XX党が新聞やテレビで絶え間なく、法輪功学習者は自殺するか、或いは殺人すると宣伝している。趙徳文は政府に殺されたではないか? 嘘の自殺現場まで作ろうとして、結局ばれてしまった。こう見れば政府の宣伝は全く嘘だ。」「その通りだ。私が見た法輪功学習者は皆正直で、病気もなく、人に親切だ。法輪功は人に善人になるよう教えていると聞いた。江XXは、法輪功学習者は邪悪だと言っているが、きっと真実ではない。」 ある人は密かに言った、「私も法輪功を学びたい。」「法輪功はこんなに好いのに、どうして修煉出来ないの?」「今から修煉しても遅くないかしら?」「良いに決っている。学習者を探して教えてもらおう。」

何時も小さな事でも損をしたくない人が居て、よく市場で物を盗んだりするのだったが、今回霊前でいろいろと不思議な出来事を見て、非常なショックを受け、行いを改めて、生まれ変わる決心をした。彼は親類達に宣言した、「私も法輪功の修煉をします」。そして何人かの親類を集めて、一緒に修煉を始めた。今、趙徳文の不思議な出来事の影響と大法弟子の助けのもとに、大勢の人が法輪功の学習を始めた。

趙徳文の追悼会の監督に来た5、6人の警察は、この霊前での出来事を自分の目で見たか、又は聞いた。彼らは恐怖を覚えて震えた。XX党はずっと無神論を宣伝して来て、神仏を信じるのは迷信と見做した。しかし彼らは今確実に真相を見た。その数人は、自分は江XXに騙されたと認識し、悔い改め、もう悪い事の助けはしないと決心した。ついに勇敢な者が、趙徳文の親族家族に、労教所で趙を迫害した様々な罪を披露した。一部の警察は江XXの法輪功鎮圧に従うのは、全く間違っていると分かり、大法弟子が霊前で群衆に真相を伝えているのを見ても誰も声一つ出さず、皆黙って大法弟子の話を聞いた。

趙徳文が虐殺されて、多くの不思議な出来事が現れた後、天津市大港区板橋女子労教所の悪名が遠くまで伝わり、五大隊は解体し、取り消しになった。

2003年10月14日