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大法弟子呉学蘭は貴州の地方法院から不法に15年の懲役を言い渡されたため上訴

2003年10月2日

[明慧ネット2003年10月2日]貴州省六盤水市大法弟子呉学蘭(33才)は2003年8月22日に貴陽市烏当区人民法院に「X教組織を利用して法律実施を破壊する罪」及び「テレビ施設を破壊する罪」で合計15年の懲役を言い渡された。呉学蘭は自ら上訴書を書き、2003年8月30日に貴陽市中級人民法院に上訴した。

呉学蘭は上訴書に:「法律自身の厳粛、公正に対する敬意と審判を進めようとしている皆さんに対する希望と信頼から、私は皆さんが法律に従って与えられた権利を真剣に執行して、公民の権利と利益を守ってくれるよう希望します。そして私及び関係ある法輪功学習者に対して公正かつ合法的な判決をしてくれるようお願いします。」と書いた。

「この判決について、私は法律適用の不適当な問題が存在すると思います。しかも、第1審の審理において、審理員は司法のプロセスを全然守らず、私の法廷での弁護と陳述の権利を剥奪しました。しかも、最後の陳述のプロセスも取り消し、家族に法廷に来るようにも知らせず、全く明るみに出ない秘密的な不法審判です。そこで、私は上訴し、中級法院の法官及び合議審理に参加する要員が事実をはっきり調べ、法律の正義を尊敬し、私と法輪功の名誉を正してくれるようお願いします。現在の国情から、皆さんは人に言えない辛さがあるということを私はよく存じています。ですから、私は結果に関わらず、皆さんが審判する上で、良心に従って選択するよう希望します。」

上訴書に呉学蘭は主に二つの問題について述べました:1、法輪大法は正法である、2、判決書中の事実でない証拠と告発を明らかにした。

上訴書に:「先ず、概念上での間違いを正さなければなりません。「X教」とは中国のマスコミの一存だけで事を決めたものです。人民代表大会で「反X教法」が決まりましたが、それが示す邪教の定義ははっきりしていません。法輪功に着せられている罪名は、法律の立場から見ても、道義の立場から見ても成立しません。全国から「収集」したり、でっち上げたりした手がかりのない無実な案件を全て法輪功に着せました。そして全国人民と法輪功学習者が何の準備もない中に、人民代表大会の名義で「立法」するのは、完全に政治ごろつきが権利を弄び、独断専行の結果です。このように問題の性質を決めることは根本的に事実の根拠がなく、政治的弾圧運動の手段にしか過ぎません。」と書いた。

「法輪功は人に善良になり、真を修め、心性を高めるように教えていますが、これにいったい何の罪があるのでしょうか?国家体育委員会は法輪功の病気を取り除き健康を保持する状況について何回も調査して、法輪功の効果を肯定しました。それでは、「焼身自殺」、「自殺」、「自ら傷つける」、「殺人……」等々はどういうことかと疑問を持つ人がいると思われます。ここで私は今まで志を変えない法輪功修煉者として、言わなければなりません。どうかそれらの悲しく、嘆かわしい、可愛そうな様々な変態行為を法輪功に結び付けないでください。人に善良になるように教えて悪い結果をもたらす事はないでしょう?良く考えて見てください、法輪功が伝わって十年以上になりましたが、弾圧する前は「自殺」、「自ら傷つける」、「殺人や放火事件」などのことは全然ありませんでした、それなのに弾圧が始まるとどうして世を驚かし俗人をびっくりさせることが起こるのでしょうか?このような法輪功を汚す宣伝は中国の特異性なのです。すでに海外では60ヶ国以上の国で法輪功は愛好されています。ところが海外の国では何故こういう事がないのでしょうか?特に同じ先祖の香港、マカオ、台湾でも何故このようなニュースがないのでしょうか?中国の江氏政府が法輪功をけがしたり、誹謗したり、中傷するのは、民衆をだまし、ひとをごまかすための手段に過ぎません。このようなものだけで、法輪功が何かを知らない人を騙すだけです。法輪功は「殴られても殴り返さず、罵られてもやりかえさない」を講じ、恨まなく、寛容、善良、我慢し、嘘を言わなく、誰にも親切にしなければなりません。現実に真に法輪功を修煉する人は誰でもこのようにやります。私の周囲の真に修煉する全ての法輪大法弟子はみな人格が高尚であり、品行も良好で、正義と真理の為に命まで捨てられる人です。佛教やクリスト教も数百年に渡る迫害を受けたことがあります。それらは当時も誹謗されたことがありますが、現在、邪悪が正義に勝てないということは歴史が証明しています。われわれは歴史を尊重し、事実を尊重しなければなりません。真相がすっかり明らかになる日がきっとあります。

呉学蘭は起訴書に:「法輪功を「教」と見なす人もいますが、これは可笑しいことです。法輪功は佛家伝統気功の一種であり、人から人に伝わり、心により伝われており、お寺もなく、事実上の組織もありません。愛好者が録音機を持って、煉功の音楽を流し、参加したい人は誰でも来て良いし、名薄もなく、いかなる費用も要りません。多くの気功師はいろいろの理由でお金を取りますが、法輪功はそうではありません、私は今まで修煉して来ましたが、本を買う以外に、「会費」などを払ったことは全然ありません。このような宗教がありますか?」と言った。

呉学蘭は起訴書に:「誠意に教えるのは、世の人々がでっち上げの宣伝にこれ以上騙されないようにするためです。多くの騙された人々はわけもわからず大法弟子を敵視して犯罪を起こしています。さらに、悪い人を使って悪事をする人は、人間の正常な感情や理性を失って、大法弟子を迫害しています。香港人権組織のアンケート調査センターの統計によると、700人以上の大法弟子がこの血生臭い弾圧の中で迫害されて死亡しました。さらに身元を調査できる者だけでも、数千人の大法弟子が精神病院に送られて苦しめられたり、いわゆる洗脳、労働教養、労働改造の対象にされました。われわれの財産が没収され、拉致され、残虐に拷問される時、法律はどんな役割を果したのでしょうか?独裁の道具ではないでしょうか?統治者は歴史上にどの君王も生死から逃れることは出来ません。権力は一時的なもので、結局一杯の土に過ぎず、残虐の結果は「秦桧」のように、痛罵されるということを覚えていないらしいです。幸いに社会は発展して行き、人類は公理を渇望しています。この2年間、海外で法輪功学習者は何回も種類絶滅罪と反人類罪という罪名で、アメリカ、カナダ、ヨーロッパなどの国で江XXを起訴し、全世界人民は中国で起きている人権を踏みにじる弾圧に注目しています。より多くの善良な人々が法輪功の真相を理解し、近い将来にわれわれは公明正大に、自由に信仰、煉功することが出来ると信じています。」と言った。

判決書に書いている「呉学蘭ら11人の弁護理由は事実と法律を無視する詭弁である。」について、呉学蘭は上訴書に:「全体審理過程においてわれわれは自由弁護と陳述する機会がありませんでした。それなのに詭弁とはいったい何ですか?しかも、最後の陳述の段階で、われわれが陳述しようとしましたが、法廷から強制連行されて離れました。いわゆる法に従った審理とは、私に言わせれば、世間を欺く秘密審判に過ぎず、民衆に知られたくないのではないでしょうか?真相でしょう。実は誰でも自分の分析能力があり、識別能力があります。弾圧が4年間続いていても法輪功は依然として屈服しません。この事実自身が問題をよく説明しています。」と言った。

判決書に書いている「何度注意しても改めない」について、呉学蘭は上訴書に:「労働教養は前科とするのかどうかについては論じていません。われわれ全ての人は法律に従って公民の陳情の権利を執行したため、不法に労働教養されたのです。99年10月、私は北京行きの切符を買って、北京へ陳情に行こうと思いました。ところが出発する前に公安機関に取り押さえられて、27日間不法に監禁され、その後中八に送られて3年間労働教養されました。実は私は政府を信じるから、私自身が法輪大法の修煉により心身に利益を受けた実際の状況を反映したいだけでした。「人間は聖賢でない、誰でも過ちがある。」私は政府に混乱をしずめて正常にもどし、法輪功に潔白を戻してくれるよう希望します。現実の残酷さ:労働矯正所での長時間に亘る重労働、強制的な洗脳、看守幹部の思うままに悪罵、労働教養する人を指示して大法弟子を殴り、禁足・・・…などこれらを見て私はがっかりします。」と言った。

「昔の事を振り返られません。何故中国で「真、善、忍」に従う良い人間となろうとするとこのように心身が痛め付けられなければならないのか私は理解できません。3000年9月、強圧、 嘘の下で、私は本心に逆らって「煉功しない」という保証を書き、「批判」材料を書きました。これは私の生涯で最も過ったことです。2001年私は釈放されて家に戻りました。圧力のない環境で静かに考えて見ましたが、自分が無知に大きな過ちを犯したことが分かりました。しかし、地元の「610」と派出所はしばしば騒乱し、不法に監禁までしてくれました。2001年10月、私は障害を突破してインターネットで、「労働矯正所や他のところで書いた大法に不利な「転化材料」をすべて無効にし、生涯大法を堅く修煉し、世人にわれわれの物語を言わせ、大法の真相を教えます」という「厳正声明」を公表しました。声明を公表してから落ち着く先もなくなりました。「何度注意しても改めない」とは、何を注意したのですか、人を騙すようにですか?良心を裏切るようにですか?自分が利益を受けた大法を誹謗するようにですか?改めるとは何ですか?何を改めるのですか?真実、善良、寛容、我慢する修煉者になるのは正しいことではありませんか?」

以上の事実を述べる時、自分の気持ちは非常に悲しかったと呉学蘭は言った。しかし、法輪功学習者の合法の権益と基本的人権が侵害されているし、政府も「法律に基づいて国を治める」と提唱しているが、現在になっても、法律に違反して公益を無視する現象が起きている。だから非常に義憤に満ちていると言った。呉学蘭は:「私が悲哀するのは私自身が受けた様々な不平等だけではない。無数の同胞が政府筋の是非を転倒し、事実を歪曲する偽「ニュース」に騙されて、法輪功の素晴らしさと事実が分からなくなっています。法輪功学習者が邪悪に迫害されていることを知らないのです。私はここで、皆さんが自分の心の天秤に良心の分銅を慎重に下ろすよう心より希望します。法輪大法を理解して下さるようお願いします。」と言った。